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Paris - Avignon - Rennes

小学生の頃に家族でパリで生活したことがきっかけとなり、私にとって”フランス”が大切な国になりました。

高校卒業後に再び渡仏し、南仏アヴィニョン、北西部レンヌ、そしてパリで、文化、習慣の違いに驚き学び、沢山の失敗を繰り返しながら、8年間を過ごしました。

よく行った近所のパン屋さん

自己紹介レベルのフランス語で渡仏した2001年8月、南フランス、アヴィニョンからバスで5分ほどのお家にホームステイをしました。

朝から晩までフランス語のシャワーを浴びているような毎日。ホームステイ先の家族の言っていることが最初はほとんどわからなく、絵を描いたり、身振り手振りで、ひたすら想像力を働かせ、頭をフル回転させる日々でした。

フランスの家庭では、普段の何気ない出来事はもちろん、政治、教育など、ありとあらゆる話題について食事中に意見を交わします。辞書を片手にその日の出来事を話す事で精一杯だった私には、日本の政治の仕組みについて教えて!それについてどう思う?歌舞伎と能の違いは?などという会話が飛び交う夕食の後は、どっと疲れ、ベッドにバタンと毎晩倒れこんでいました。 

バスや電車、車の駐車方法も知らないことばかりでした。

初めて地下鉄に乗った時のこと。当時の地下鉄では、停車駅のアナウンスはなく、地下鉄が駅に止まると、自分でドアを開けて降ります。その事を知らなかった私は、ドアの前に立ったまま電車が再び動き出してしまう経験を何度もしました。車内では、宣伝や音が全くなく、電車の音のみが響き渡り、静かすぎて落ち着かなかったのを覚えています。

バス停でも驚いたことがありました。ドキドキしながらバスを待っていた初登校日。遠くからバスが見えてほっとしたのは束の間、なんとバスは私の目の前を通り過ぎていってしまったのです。後からわかったのですが、バスに乗るときは手をあげて、運転手に乗る意思を見せる必要があります。次のバスが来るのはずっと先、しかたなく全速力で走って大学に向かい、授業が始まる寸前に教室に滑り込んだ私を見る仲間達の視線を、今でも覚えています。

家の窓から見える道路では、バンパーを前後の車にガンガンぶつけながら縦列駐車をしている光景に目を疑いました。その後のフランス生活で、何度も同じような光景を見かけ、車に対する考え方が違うんだな、と納得したのを思い出します。

学生生活で驚いたことといえば、やはりストライキです。フランスでは、郵便局、鉄道会社、小学校の先生などのストライキ、デモが頻繁に行われます。意見を主張するために、高校生や大学生が街中でデモを行う姿を何度も見かけました。

2001年、教育システムの変更に反対しての、数ヶ月に渡る学生のストライキを経験しました。教室に行こうとすると全てのドアが塞がれていました。大学構内を学生が中から封鎖し、順番で寝泊まり。事前に何も知らされていなかった先生達も、この状況では授業はできないね、とあまり驚く様子はなく、すんなりと家に帰っていたのが印象的でした。

大学の学生食堂では、多国籍文化ならではの料理が揃い、その中でも北アフリカ出身の友人に教えてもらったクスクスが大好きになりました。フランスといえばワインと聞いていましたが、学生食堂でワインを飲みながらゆっくり食事をしている先生や学生の姿は、自分がフランスに来た事を実感する出来事でした。

食事中の赤ワインは体にいいんだよ、と友人が教えてくれ、平日でも街中ではお昼時に、カフェのテラス席でワインを楽しむ人々の姿をよく見かけました。

ブルターニュ地方の大好きな湖

心から嬉しかったことも、失敗の連続で落ち込んだ日々も、次々と色々なことが起こる異国での生活は貴重な経験になりました。

初めてパン屋さんでクロワッサンを買えた時のこと、どれが食べごろ?とマルシェでお店の人と会話ができた時の嬉しかったこと、今でも鮮明に覚えています。

フランスの家庭料理や習慣を教えてくれたホームステイ先の家族、文化の違いを教えあったクラスメイト、仕事もバカンスも同じくらい楽しむ同僚達、みんなに出会えたことに感謝しています。

パリの15区の自宅から見えた景色

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