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自己肯定感と内面をみないこと、抽象表現の弊害

こんにちは😃
きょうはまだ死ぬほど痛い足

自己肯定感は作るもの

わたしの学校は必ず電卓は100点がとれない(苦手指をデータで解析するため)ようになっています。
逆にいうと100点なんかとっちゃいけないくらいのレベルになっていますので、ですから苦手だなと思う問題が解けたら、よかったです。
本当はそれくらいでいいのです。みんなの苦手を出しているのだから、それくらいでしたね。克服をできた。それだけでした。ラストの読み上げ算の解けたときのできたことは嬉しかった。

内面の観察

どうしても体育会に属していれば、どんなことをするのかな〜とか、練習するんだろうか?くらいしか考えたことがありません。ルールみてもわかんないレベルでした。ですから無理やり仲良くしようとしても、どうしても齟齬が生まれてしまう。だから無理やり仲良くしようと誰もしなかった。そうしたら自分はこの中でどう付き合えばいいのか?どのような立ち位置でいればいいと考えを変えました。そうすると内面を見るように自然となります。

無理やり仲良くしようとしないから

自分の立ち位置を考えると相手と付き合うのが
逆にできるのです。フランクとなか先生の短所も長所も見ながら、逆らうことはしないのと、相手の話しをわきまえないしないのどちらがいいですか?となったら、その上に決まってる。先生をあだ名で呼んじゃったりするけど、敬う姿勢はもっている方がいいに決まっている。

抽象表現は首を絞めやすい

頭がいいという参考にはなりますが、そこでできる人材として思われてしまうんです。そうしたら難しいすぎる業務を与えられしまう。早い段階でできるのはすごいことだけど、身の合う仕事ではなかったら、どうする?首を絞めてしまいます。それよりちょっと下の表現を使いながらも、具体性のある文章を書く方がいいのです。頭は少しよろしくはないけど、犯罪に抵触案件であれば、頭よくなんかできません。意固地にやることによるプライドはいらん。プライドよりこれ何?どうしようといえちゃうくらいの勇気がある方がいいんです。

自己肯定感はさまざま苦手なことは出てきます。まずはそれを考えすぎることより、苦手なものができたくらいで済ます。むりやり違う世界にいる人と付き合うの疲れてくださいとしかわたしは思っいます。これがうまくいくと連携がしやすくなります。抽象表現はカッコよく思われますが、現場に入ったら、具体的にはなせなければならないのです。 
これは日本人の弱さにつながっています。

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