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向井秀徳とヘーゲル

曲を作るということ〜アルバム制作日記〜

今日のテーマは向井秀徳とヘーゲルです。

毎日アウトプットしていると頭がスッキリしていいなと思う。

今日は久々に一日作曲をしない日だ。でも、実は一日制作をしなくとも頭の中では今までやった曲を固めてくれている。
ピアノの練習を一週間ぶっ続けでやって
一日休むんで、また再開すると少し上手くなっているように、曲を寝かせることで良き発見があることがある。受験勉強などを体験した人なら少しこの感じが分かるかもしれない。
寝かせることで良い発見をするためにはその前のやりこみ量が重要になる。
何もしない日は制作では非常に重要で、視野が狭くなった視界をまた少し広げてくれる。
ヒントをくれる。

何もしない日は音楽のことを考えない。
でも、常に制作のヒントに対するアンテナは張っていないといけない。そのアンテナを12年くらい張り続けていると、意識しなくても勝手に張っている状態になっている。
昨日はナンバーガールの曲の分析をしていた。彼のあの節回しが、歌舞伎や、落語さらに算盤の暗算の読み上げに似ていることに気づいた。やはり、その辺りの文化、歴史を彼は自分の中に雪崩込ませているのだ。音楽に昇華させながら。まるで、哲学者ヘーゲルの弁証法を体現させているようだ。

彼のラストライブでの「歴史というものはほんとに素晴らしいもので〜私はその上にたっていることを誇りに思います。」という言葉が物語っている。

やはり私は文化や歴史の上にたつ者の気概や思慮の深さに惹かれる。音楽のジャンルではやく精神だ。
この前の記事で書いた科学的なオマージュではなく、文系的なオマージュをする人間たちに私はリスペクトがある。
日本の音楽カルチャーにつながる歴史がほとんどないのはそのような事を意識するものがほとんどいないからだ。
このような思索を巡らす中で一層何をインプットするかが決まってくる。
どんなものからアイデアを得るかという、そのアンテナの色は思想の部分による影響が大きい。普段から気持ちいい音楽が好きな人は綺麗な花からインスパイアーを得ようとするように、そのアンテナはその人の嗜好に依存する。
このようなことから、より多くの事に興味を持ちより多くのものからインスパイアーを得てそれを作品に昇華するものは、弁証法的なのだ。

私もその内の1人でありたいと切に願う。
今日は短いがこの辺りで。良い一日を。

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