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完成形とマスターピース

完成形とマスターピース

曲を作るということ〜アルバム制作日記〜

アルバムを作るとうことを初めて300日以上たった。
当初予定していた曲たちとは全く違ったものになっている。

2019年4月の段階 

1.Wild things
2.大きなベランダ
3.Gerunica
4.大衆
5.照明とショーペンハウアー
6、テレビの中では革命派は起こらない
7、愛の正体

現在12月
最新版 アルバム進捗状況
【タイトル未定】

1.新・諸行無常宣言
2.Ape to Ape
3.Give & Give
4.DISHUMAN LIGHTS
5.実存的青年
6.Forever2月
7.透明へ
8.天才の行方
9.Guernica
10.ショーペンハウアー
11.白い手紙
12.世界の壊し方入門
13.愛して0人称

曲数が増えたこともあるし、あとは曲の純度が
全く違う。Guernicaとショーペンハウアーだけがなんとか残り後の曲は違う曲の栄養分になった。

当初思い描いてたものと変わってくるのは、アルバムの制作もそうだし人生もそうだ。こうなると思っていても全くそうならないのだから。

というより一つでも、思い通りになったことなどあるのだろうか。

全くない。と言っても過言ではないし、思い通りになったと思っている場合はすでに現実を見ていない。

曲を作る私は、日常の中で生きている。
当然変化の影響を受ける。Tレビ番組、すれ違う人、食べ物、感覚、認識、本の内容、テレビに出て感じること。
その全てが私に影響を与える。与えてくるそいつらは全くもって予期できない。
予期できないからこそ、私たちは時間を生きることができる。そして制作活動ができる。
もし未来が完全に決まりきっていたら私たちは創造を行わない。
完成形が完璧に見えているからだ。それはただの模倣にすぎない。
どれだけ完成形に近づけるかではなく、完成形が決められていてしかも、それは自分の範囲内でできるからだ。
それが約束された、未来が約束された時、私たちは創造ができなくなる。

私たちが創造することが可能なのは、未来がわからないからだ。
なんとなく漠然とあるその完成形に向かってとにかく前進する。
ここだ!!と思って進んでも違うことも良くある。
どうやったらそれにリーチできるのかもわからない。
そして本当の完成形にたどり着くことはない。
自分の体でなんとか完成に近いところまで行けたとしてもこれが完成形とは言えない。
完成した段階ですでにその完成形は過去の産物になり未来の可能性の礎になっていからだ。

だから私たちはマスターピースという完成形にたどり着くことはできない。
できるのは、これ以上どうしようもないほどにそれに向き合ったというプロセスだけだ。

時間の中で作品が制作され、いじる部分がなくなった時。または最も純然な諦めを持った時に
私たちの創造は一つのフェーズを終える。

もうこれ以上は僕からは何もできないよ。。。。。

と想像力の疲労困憊、抜け殻状態になり。
また潤った果実のようなインプットによってその内実のレベルをあげていく。

完成などたどり着けないからいいのだ。
でもすぐそばにいるようなそいつとできることは
せいぜい ねぇ あなたって誰? と聞くことくらいだ。

私はいつもそれを問い続けている。

現場からは以上です。アルバムジャケット制作も後半の後半。

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