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アルバムは足し算ではなく、混ぜ算

曲を作るということ〜アルバム制作日記〜

12月15日現在
曲はアルバムの完成度はこのように変化した。

今日は、しかしこのような数字の完成度が実際のアルバムできた時では
全くそのイメージが異なることを説明したいと思う。

私たちは基本的に構成主義という頭で今日の世界をイメージしている。
例えばあることが起きるときにはそれは何かの条件が揃ったらそうなる。
と考えている。
例えば、好きな人だ。
ルックスがいいA
性格が優しいB
お金を持っているC
この三つがタイプだとした場合、私たちはABCを備えた人とであうと
好きなるD という現象があると思っている。
すなわちABCという条件が揃えばDということが起きるというイメージだ。
他の例で言えば、彼は仕事で失敗した理由はABCDの四つだからその四つを直せば成功する。
と考えるが実際はそうではない。
ABCDの条件を克服しても成功できないこともある。

このような構成主義的な考え方ははっきりいうと世の中の現実と一致していない。
だけれどもそう考えた方が納得しやすいので私たちは構成主義的な考え方で世界を見ている。

しかし、音源制作では現実と構成主義的妄想がはっきりと形に現れる。
響心SoundsorChestrAの玉虫色という曲がある。

その曲は第2期響心SoundsorChestrAの代表的な一曲で、アルバム「バンド使って感情表現しにきました。」
に収録されている。

実は玉虫色はレコーディングの日まで、なんならスタジオでレコーディングして完成する直前まで
優等生ではなかった。むしろボツにするかどうかをメンバーに相談していたくらいだった。
しかし、完成した作品はビックリするくらいよかった。メンバーは腰を抜かすほどだった。
構成主義的な考えは、要素、条件が揃うとそれがそのまま実現させられるといった思い込みだが、まさにこの時ほど、その思い込みを思い知らされたことはない。要素と条件が揃っていないのに、できた作品がぶっ飛んで良いのだ。
このような体験をすると、一体何が曲をよくしているのか分からなくなる。
それは逆のことも言えて、どれだけレコーディング前に完璧だと思って曲を持っていっても、いざレコーディングしてみるとあまり良くなかったりするのだ。
だからどれだけ完成度を上げていってもなかなかその通り最高の曲にできるか分からない。
レコーディングはそのような意味で、構成主義がフィクションだということを残酷に教えてくれる。
ただ、同時にもっと肩の力を抜けよ。と言ってくれてるようにも感じる。ゆえに優しいのだ。
ただ私達音楽家ができることはそれでも、必死に自分の作品である子供達のことを精一杯考えて具現化するその努力だけだ。

哲学の世界には構成主義に対して全体論(ホーリズム)というものがある。
ホーリズムは簡単に言えば、構成主義の批判で、ABCDを足したらEになると想定しているものが、ABCDを足すと全く違ったものになるという発想だ。
アルバム制作はこのホーリズムの感覚に近い、最高の13曲を詰め込んだとしても全体が一体何になるかは分からない。
だから最後までアルバムの名前は決められないのだ。

予想しているものと全く違うものになる感覚がとても楽しいのだが、同時に強烈な虚無感や絶望感にも襲われる。
予測できないことが嫌いな人間は、運命に身を任せることが嫌いだ。私はすでにもう、なるようにしかならないことこそが自分の宿命だと諦めているのでその恐怖や絶望はなく、ホーリズムとはなかなか素晴らしい発想だと思う。

すなわちホーリズムは足し算ではなく、混ぜ算なのだ。
足し算 1+1=2 構成主義
混ぜ斬 1+1=プリン 全体論
といったようなものだ。

そのような意味ですでに前へ前へ前へ、曲を何度もブラッシュアップしながらできるだえけ偶然性を入れる配慮を残しながら
その調和がを日々追求している。

今回のアルバムもこのホーリズムが起きることは不可避で必ず起こる。
そのようなことを前提として、さぁどうやってやっていくか。
挑戦は永遠に続くわけだ。
一寸先は闇とも光とも病みともなんとでも言えるが、とにかく、いいアルバムかどうかは作って見ないと分からない。
13曲の曲達が互いに影響を受け、形が制作者である私にも分からないくらいに切磋琢磨することもあるし、どのような因果関係でそうなっているかもわからない。
それでも私を突き動かすその存在の意(その存在に意思はないが)のままに、身を委ねてやっていくしかない。

年内にクラウドファンディングを始めるが、どのくらい在庫が必要なのかも含めやっていることは先行予約と同じだと思って大丈夫だ。

クラウドファンディング=投資という考え方を持っている人が多いが
リターンがある以上普通にライブのチケットをピアなどで買ったりすることと何も変わらない。 

足し算ではなく混ぜ算という発想の元に音源を作っていくと、音源そのものが自分の宿命の鏡として現れてくれる。
そんな素晴らしい制作の機会をいただけることが非常にありがたいのだ。

いつも応援くれているみんなありがとう。
私には応援してください!のようなそんな大それたことは言えないし、そこまでの自信もないが、それでもありがとうの気持ちだけは、少人数の世界にいるからこそ人一倍強いと思う。

さぁそれではツイキャスをしてそのあと制作に戻ります。
現場からは以上です。


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