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なんでも良くないって素敵だよ?

なんでも良くない。

そんな人が実は一番なんでもいいよ。の人になれる。今日はそんな話。

昨日、政治グループのミーティングに呼ばれて意見をしてきた。

彼らは俗に言う左翼だ。

でも、彼らが始めようとしていることは
暴力革命でもない。意見の不一致は保留して、意見の一致を伸ばしていこう。
というとんでもないリベラルなスタイルだった。

その代表の男から連絡が来た
『不一致な点は留保し一致できる点を拡大して
連帯していける運動体を作りたい』と。
左翼の彼らが、これをやる意味を今日は話そうと思う。
そして、それが今日のタイトル『どうでも良くないって素敵なことだよ』につながることを話したい。

彼らは俗に左翼だ。危険な連中だと思われている。幹部の連中はさして私と年も変わらない。
でも、すでに警察と衝突して逮捕された経歴がある人たちだ。
でも安心してほしい。彼らは決して危ない人じゃない。
彼らの正義をこだわりを追求しているに過ぎない。
むしろ、昔喧嘩に明け暮れた自分の方が危ないやつかもしれない。詳細は重要でないので省略する。

『不一致な点は留保し一致できる点を拡大して
連帯していける運動体。』

この意味と意義を考えたい。
2020年はこだわりがない方が生きやすい社会だ。
思想やこだわりなんて捨てて、なんでもいいじゃんに流れた方がいい社会だ。
自由、LGBT.グローバリズム、民主主義、とりあえず考えず、こだわりを持たず受け入れていこう。保守的な態度はやめて、とにかくノリでいこう。という態度の方が生きやすい。
でもその結果社会がダメになっていることにもノリで受け入れる。
このような構図が今日の日本にはある。

左翼の彼らはそんな中で永遠と戦い続けている。
戦い続けている時点で既に、こだわりを持っているし、どうでも良くない系の人たちだ。

そんな彼らが、こだわりをある程度捨ててでも
違う意見のひとたちと大きな社会というプラットフォームのために自分のこだわりを“保留”させるという事を始めた。

これはすごい事だ。MAXの逆振りだ。

彼らは本当の意味でのリベラルになれる可能性がある。

今日のリベラルはただの優等生なので語る意味がないので省くが、日本にリベラルはいない。
リベラルとは極度に自分のこだわりを貫いた人間しかなれない。

どうでもいい人は、どうでも良くない人を許せない。し、理解できない。

この構図を打ち破るのは、体を張ってでも、捕まってでも自分の意思を貫くことが出来るどうでも良くないを身体性で理解している人間だけだ。
全員が本物のリベラル人間になれるわけではないが彼らはその可能性を秘めている。

彼らの運動は応援したいし、既に私も彼らの熱意に触れた瞬間から部外者ではない。

彼らのことはそこまでよく知らないが
彼らのやっている行動がどのような文化的、歴史的意味があるのかを、少ない情報量で理解できるのは、自分にそれなりに知識があるからだ。学問をやっていてよかった。
彼らの価値を何倍にしても理解することができるからだ。

今日の社会は、どうでも良くないやつを受け入れない。
こだわりが強い人は何かに対して批判する。
当たり前だ。こだわりがあるから当然なのだ。
しかも彼らは怒る。
でも、彼らの怒りは喜びだ。怒れるのは喜びなんだ。でもその内的世界は外的世界からすればただのめんどくさい奴になる。

内的世界の価値観で生きてる彼らは
世界からすれば異物に近い。

そして、その内的世界のこだわりの強い彼らを無意識な冷めた目で排除しようとする動きこそが善人の諸行なのだ。

でも、善人は常に正しさではなく、多数派に属するので、本当の意味での深い世界の不条理に対応できない。

こだわりまくって、なんでもよくないやつも、なんでもいい人も許せるまでにはステップが必要だ。一周回るというステップだ。

人を許せる人間になれる。

一周回るまで、死ななければね。多くのやつは一周回る前に、しんどくてやめてしまう。

彼らは死ななかった。だからこそ本物のなんでもいい派になれるかもしれない。
本当に素晴らしい。

そんな事を思いながら、すごく有意義な時間だった。

アルバム制作は佳境中の佳境だ。
このまま攻め続けるぞ。
楽しみにしていてください。

自分もなんでも良くないから、なんでもいい派になれるようさらに深く生きます。

現場からは以上です!

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