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歪んだ恋愛遍歴 #10【摂食障害のお話】


たった14歳だった。


摂食障害を患って
食べられなくなって
痩せ細って

ある日、食べたら止まらなくなるというのが
過食の始まり。


自分の意志とは反して
貪るように食べあさる日々。

お腹が苦しかろうが
食べ過ぎて背中が痛くなろうが
自分の意思では止めることができない。

憎き病。

高校生になって吐くことを覚えて
過食はエスカレートしていきました。

食べたり吐いたり

食べ過ぎた後は

極端に食事を抜いたり



そんなことに1日の大半を費やし
学校もあまり行かなくなった。

ただ、取り残されるのは嫌だったし
1日を家で過ごすのも嫌だったので
気怠い体に鞭打って
午後から登校するのが日常だった。





その頃のお話をもう少し。


自分の存在価値


愛されたい


愛されたいとか
認めてもらいたいとか

そういう気持ちが人一倍、強かったように思う。

人は自分の欲求を叶えてくれる人を好むという。

誰でも良かった。

私は自分を好きと言ってくれる人を好きになった。

正確には
好きになろうとしていた。

そうすれば
愛されてさえすれば
幸せな気分を味わえる気がしたから。

好きと言われることで
自分の存在価値を確かめたかった。




そんなわけなので
より好みはあまりしなかった。


交際がスタートするのは容易い

好きなんて、思い込みだと思っていた。

感情なんて、コントロールできるものだ。



好きになろうと思えば、なれる。
そのように振る舞えば良いだけだ。

逆も然り。
嫌いになろうと思えば、なれる。

嫌だなぁと思うところを見つけて数えてみれば
すぐだ。
デメリットを思えば
その人との付き合いに執着などなくなる。

そんな風に生きてきた。

高校生の頃の恋愛ごっこだ。


好きだとか告白されて
付き合ってくださいから始まり

手を繋いで歩いたり
メールしたり
電話したり


誰としても
さほど変わらない。

特に交際の初めの頃は
新鮮というだけで楽しめた。


人を好きになることは
自分を好きになることより
容易かった。




求めていたはずの「すき」なのに


軽々しく口にする男の人の「すき」は
信用できなかった。

好きという言葉にすがっていたはずなのに…。

それはとても残念なことに

求めていたはずの
男の人からの「すき」は


手に入ると
そう、途端に

どれも薄っぺらく感じた。       

つないだ手の温もりから
愛を感じることはなかった。

時には不信感や嫌悪感まで感じた。


結局のところ

助けてほしかった。

愛してほしかった。


親が子供にそうするように

私を丸ごと

そのままを受け入れてほしかった。

のかもしれないなぁと
今だから思う。



他者からの「すき」は
私の心の隙間を埋めてはくれなかった。

異性の存在は
気を紛らわす材料にはなっただろう。

時間も埋めてくれた。

だが結局…

1人になれば
食べることで
虚しさを埋めた。


愛を感じる心を持ち合わせていなかったのだと思う。


この人の「すき」は本当だろうか。
信用していいのだろうか。
私の何を知っていて「すき」なんだろうか。

疑心暗鬼になるばかりだった。


今思えばくだらないなぁと思うんだけど

その頃は真剣だった。

人を愛することは出来ないくせに
愛してほしい、大切にされたいと切実に思っていた。

それは少し猟奇的でさえある。


何で愛の大きさを測れるのかわからないが

人を信じることもできないのだから

幸せになんかなれないし

別れも早かった。

付き合っては
別れ付き合っては別れ

愛を求めて距離を縮めるも
信用できずに別れる。

そんなことを繰り返していた。



その頃の私へ伝えたいこと

好きと言われることなんかで
空虚感はなくならないし


そんなに人を疑ってばかりじゃ
何も手に入らない。


あなたが自分を満たすためにやってたことは
ないものねだりばかりして
自分の都合の良いように人を利用していただけ。

人を傷つけるとか考えもせず
その人の心と向き合おうともせず
自分勝手ばかり。

そんな女、誰からも本当には大切にされないの。

誰とつきあっても
幸せにはなれないのよ。

大切にされたいのなら
相手を大切に思うこと。


           ✴︎


まぁ、そうは言っても
その頃は一生懸命生きてたんだと思うけど。

今だから言えるオバさんのたわごと。

お久しぶりになりましたが
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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