死んだように過ごすはずだった週末が一気に有意義になったはなし

ありがとう。まずは。

週末っていつの話みたいな。気づいたら何曜日?って感じだけど。また戻ってこれてよかったです。ご無沙汰しております。

何から手をつけていいかわからない状況っていうのは人間にとってあんまりよくない気がする。たぶん。やることが決まるとパタパタとドミノ倒しみたいに自然にこなせるしひとつひとつ終わらせていける。
何がわたしのやる気を出させるかは未だに予測がつかない。何の前触れもなく、不意に生じたりするけれど、わたしのやる気を失くさせることはいくつか想像がつくし、それらと距離を置いて意図的に避けることはできそうな気がした。

人の慰め方にはいろいろあると思うけど。現実から目を背けさせてただ楽しくさせてくれてそのまま忘れさせることもそのひとつだし、解決策とは言わないまでも今やるべきことを、考えるべきことを、生きるスタンスを提示してくれることもそれはそれとして、わたしはどっちも好きだと思った。どっちも大事だよ。それぞれのやり方で、都度わたしは元気をもらってると思う。考えすぎはもちろん良くないし、ただ目を逸らしてばかりもいられないってこと。究極、騙されてもいいくらい好きな人の話だけは聞くし、言うことも守る。正しそうなこと言ってる人のことは参考にするよ。参考程度に。なにが正しいかわからないとき、いちばん正しいのは自分の判断かもしれない。なにを信じたいかでいいのでは。それをまた第三者に発信するときには責任が生まれるけど。

今週末は布団の中で過ごしてもおかしくなかったけど、スイッチ入った。
勝手なライフハックで自己催眠みたいな、久しぶりにちゃんと化粧をして好きな服を着る、をしようと思った。リモートワークが続くとストレスで肌も荒れるしなんとなく化粧もしないけど、久しぶりに、本気の化粧をしようと思った。ライブに行けるくらい。服もいつもの部屋着じゃなくてちゃんとかわいい服。それから美味しいコーヒーを淹れることを決めて、そしたらお菓子にもこだわりたくなって、ケーキを焼くか、と思ったけど、プリンにした。残り2時間切ってるくらい。すぐに部屋を片付けてプリンつくってシャワー浴びて。無駄に米炊いたり洗い物したり、とにかく全てのやる気スイッチ片っ端から押していった感じだった。
それからわたしの1日は前みたいにキラキラした日になったし、久しぶりに、新しい日って感じがした。

わたしが料理がすきな理由は次にやることが決まっているからかもしれない。そうではないかもしれない。料理はたのしいな。

ちゃんと夜をした。朝晩しか家にいない民だったから冬なんかはわりと常にカーテンが閉まっているタイプなんだけど、最近は家にいるから隙間から日が挿してるのを見つけたらカーテン開けてる。あったかい日は窓も開けてる。全開。
その日は日が出てるうちから料理してて、キッチンの灯りだけで集中してたら、気付いたら夜になってた。ちゃんと夜だ。ちゃんとの夜。帰り道の夜とはまた違う、家の夜。久しぶりな感じがした。夜は電気つけたらカーテン閉めるし。あんまりないから。なんかすごく夜だったから、カーテン閉めるのも電気つけるのもやめて、夜を堪能した。それ用の備えは何もないけど、ありったけの間接照明とアロマキャンドルで灯りをつけてごはん食べた。今思うとキャンプみたいだったね。落ち着いて癒されるっていうより、なんだかわくわくして楽しかった。

不要不急の外出はしないようにしてるけど、お腹は減るので時々スーパーには行かざるを得ない。最近のお金の使い道がほとんどスーパーだけなのは少し寂しい。お金が減ることはストレス解消になるらしい。
それでも、スーパーでは出来るだけ楽しくなるようなものを買うようにしてる。食パンの代わりにサンドイッチ用のパンにしたり、いつもより多めに卵を買ったり、普段作らない料理に挑戦したり。自分を少し甘やかしてお菓子をいつもよりたくさん買ったり。

最近は料理をしていてインスタ映えと美味しいが両立できるようになった。学んだ。過度な映えはだいたい美味しさを犠牲にする。全部ではないけどもちろん。見た目と美味しさが両立できるのはほんの一握り。最近は本質がブームだな。料理は美味しいことが前提。食べたいものを食べる。

このところコーヒータイムを楽しみに生きている感がある。14時とか15時とかは、明るいと暗いのちょうど絶妙なタイミング。お気に入りのコーヒー淹れたら、そのとき電気ついてたとしても、消す。あえて電気を消して、自然光でコーヒー飲む。自然光がとっても良い。家の中にいても、ほんの少し春を感じられる気がする。
コーヒーほんとにおいしいな、10gにぬるめのお湯100ml。この分量だと薄めだけど優しくてちょうどいい。でもこれ以上追求する豆がない。残念。もうすぐなくなっちゃう。2度と出会えないかもしれないブレンド。さよなら。これからどうやって生きて行こうかな。

誕生日こないでほしいな。初めてかもね。歳とるからとかじゃなく。春が好きなのにおうちにいないといけないから。あんまり関係なさそうだけど、春が来ないとわたしの誕生日こないから。なんだかわたしにとって春は密接な関係。一方的かもだけど。春はわたしのこと好きかな。わたしにとって春が来るがまだできてないんだなと思った。少しだけ、1シーンだけ思いつくけど。たぶん浴びる日光の量が足りてない。桜の花が咲くための寒暖差の条件みたいにね。わたしに春が来るための条件がたぶんある。まだ満たされてない。

いちばん好きな家事は洗い物だと思う。先が見えてるからかな。家事ってだいたい終わりがなくて無駄な抵抗とか不毛な争いって感じがするけど、洗い物は終わりない感が少なめ。お皿を使わなくても生きていけるしね。洗濯物とかほこりは生きていたら発生するけど。そこの違いかなぁ。
料理はちなみに家事じゃなくて趣味。最悪しなくてもいい。特に、最悪ごはんの代わりにお菓子とかで生きていけたりするし。健康に良くないね。健康第一。

本当は今日仕事終わったらスーパー行きたかった。遅すぎて諦めたけど。胡椒を買いに行きたい。あと強力粉。ナンつくらないといけないし。お菓子つくる材料とか。薄力粉使いたい。

仕事でたまにデータ分析みたいなことをするけど、仮説を立てて検証の筋道立てるって、ある意味執筆くらいクリエイティブな行為だと思う。悩んでるわけでもなくてもなかなか進まなかったり、かと思えば気分が乗ると急に見通しが立って考えがポンポン浮かんできたり。今日はその波が来るのが遅すぎた。遅いしでかかった。その波を止められなかったね。考えるの楽しすぎるし、途中でやめたら忘れちゃうこともよく知ってる。なんかその波を見逃すのは、仕事とか抜きでもったいなかった。仕事が好きとかじゃなくて。わたしはわたしの頭が動いているのを感じるのがすき。

今日も文才のある他人をみたな。こんなところで出会うとは。文才のある人素敵だな。そうなりたいものですね。時間を置いてみると自分の文章こんなに他人のものみたいになるんだって思うね。心の角度次第ですかね。

あ、家で踊ろう聴いて昼休みに泣いちゃったはなし。歌詞がほんとうにそう、以外の語彙がないくらい。それからすごく元気づけられた。そうしようって思った。安易かもだけど。星野源は本当に、太陽そのもの。常に聴いているとかじゃなくて恐縮ですけど。こういう時に染みる。できることやってる人たちのなかの1人だなと思った。自分にできることで人の役に立つ。少なくともまたがんばろうって気にさせることができたら、すごい、それは素晴らしいことだ、かもしれなせんね、SAMURAI。
わたしにはなんにもできない前提だけど、やれることはやりたい。少なくともやりたくないことをやらないでいたいと思う。そういう存在として。そうありたくない存在として存在しないでいたい。対外的な選択として。

やっぱり生きなきゃと思う。生活しなきゃ、じゃなくて。ちゃんとやりたいことやって、楽しく過ごさないとってこと。無理せず。できる範囲で。
いつかまた今日みたいな日々が、あんなこともあったなくらいに薄まるはずだから。だんだん幸せになってこの味、味わえなくなるはずだから。今しか感じられないこの最悪を楽しもう。ネガティブなのかポジティブなのかわからんな。どっちだっていいか。思うことを思うだけ。

それでは、生きてまた会おう。

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