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プロローグ

プロローグってことば、なんか響きがとても好きで使ってみたかった。夢かないました(笑)

はじめまして、Kinaです。今日は、初回なので、なんでnoteを始めたかについて書こうと思う。

noteの存在は前々から知りながらも、「書き始めて続かなかったらださいなぁ」とか、多くの方が記事を発信している中で、自分の記事が埋もれてしまう感じがして、着手してこなかった。

ただ、突然思ったのだ。

「25歳の今、思っていることを記しておきたい」と。

学生のとき、古典の授業で習った孔子の文。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

意味は、
「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」だ。

これを授業で聞いたとき、まず「え、人生果てしな。」って思った。
「はたちこえたら大概のことはできるようになって、自立していけるんじゃないの」って。
それから、
「孔子さんはよっぽどストイックだから、自分に厳しくこんなことを言っているんだ。それか、昔は今と環境がちがうから、精神が成熟すると感じるまでに時間がかかったのかなぁ」(めちゃ失礼)など、先生の話が進む傍ら、ぽけーっと思考をめぐらした記憶がある。

「もっと早く大人になれるはず」
このときの私は漠然とそう思っていたのだ。

が、しかし。

成人した。
社会人になった。
25歳=4半世紀。

どんどん人生の時計の針は進んでくのに、どうだろう、一向に大人になれた気がしない。やっと気づいた。成熟した人間になるのには、まだまだ道のりが長い。

大人になっても、間違ったことをして捕まる人はいるワケだし、法にふれなくとも皆、過ちを犯したり、悩み苦しんだり、正解が分からずに生きているわけだ。

自分の考えを本にして世の中に出している人がいるけど、その考え方だって何年か後には、「やっぱ違ったな、あんなこと書かなきゃよかった」って思っているかもしれない。

25歳、今のわたしは、学校という枠から抜け、かつまだ家庭をもっていないという自由な環境にある。そしてこの環境だからこそ人生の舵をきることはいくらでもできるのだ。

SNSを見ていても、転職する人がいたり、結婚する人がいたり、人生について考え、決断を下している人がいて、ときには同じ環境にいた人たちも、それぞれの道を歩んでいっている。そんないろんな生き方に触れることで、これまであまり考えず、しかれたレールの上を走ってきた自分が、深く考えを重ねるようになった。

そんな今の心境や、自分の興味を、言語化して、残しておきたい。特に記憶力のない私は、数年後にはきっと忘れちゃうから。そして、もしかしたらもしかして、そんな私の記憶のメモ書きを、暇つぶしに読んでもらえたり、共感してもらえたり、誰かのほっこりにつながるといいなと。

そんな想いで、本日note始めます。

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