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そしてまた、同じ街と出会う

この世は、「百聞は一見に如かず」すぎる。地方の高校を出て、東京の大学に進学した私。この3年間、あらゆるカオスに飛び込む中で、何度、プチパニックに陥ったり、謎のコミュ障を発揮したりしたことか。

毎日更新を始めてから、noteが、これまで経験したことの思考整理の一部になっている。このnote自体は、一つの事象を元に書いている。だけど、その中には、今まで考えたり気づいたりしたことのエッセンスが、複合的に、絡んでいる。

そしてnoteは、未来の自分へ残しておきたいメッセージにも、なっている。今日もまた「これからも、忘れたくないこと」をひとつ、書いてみようと思う。

ここ数年、オンラインでのコミュニケーションが発達しているのを感じる。正直、めちゃくちゃ楽だ。ミーティングや授業ギリギリまで、寝ててもいい。メイクや髪の毛を、細かいところまで、やらなくていい。面白くない授業は、倍速で聞けばいい。書けば書くほど、私のズボラっぷりが、バレる気が、本当に、そうなのだ。

だけど、今日、「やっぱり、足を運んでじゃないと、分からないな」と思うことに、たくさん出会った。

***

冬物のダウンジャケットを直しに、街に出た。3年間通っていた高校があるなじみの街を、歩く。おっ。裁縫屋さんは、この小道沿いにあるぞ…..。いや、でも待てよ。こんな小道が、今まで、どこに隠れていたんだろう。高校時代の3年間、この近くを何度も通ったはずなのにな….。

でも、やっぱり、その道は、はじめましての道だった。しかも、ちゃっかり名前なんかも、付いていたりした。古い漢方屋や聞いたこともないような春巻屋なんかもあった。知らない所で、街は、いつも生き続けていた。

服のお直しをしている間、いつもの商店街を通ってみた。とある1枚のポスターに惹かれ、小さな文学ショップに入る。そこには、街のいろんな情報誌が並んでいた。パソコン教室、演劇、古本のイベント、名品紹介…..。知らない所で、街は、いつも何かを生み出し続けていた。

そして最後に、近くの日本庭園に行ってみる。元々、行くつもりはなかったが、ちょっと、時間があったから、行くことにした。そこで、一人のおばちゃんと出会った。この庭園によく来る、という。少しばかり、話をした。

「都会だと、こういう静かな場所、なかなかないでしょ〜。だから、よく、ここに、お茶を飲みに来るんです。」

ああ。庭園は、観光地だけでは、なかったのだ。日々、癒しを求めに来る人も、いるのだ。おばちゃんの行動は、私にとって、新しい気づきを与えてくれた。

おばちゃんは、帰り際に、この庭園の見頃を、教えてくれた。私は、今日、その時間まで、居れなかった。だけど、私は、その時間に合わせて、庭園に、戻ってくるだろう。

これが、SNSやパンフレット等で知った情報だったら、どうだろう。多分、行っていないと思う。でも、私は、いつかまた、ここへ行くことを決めた。だって、今日、おばちゃんに、聞いたのだから。

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やっぱり、SNSで流れてくる情報なんて、ほんの一部だ。どんなに、小さな街だとしても、知ったつもりだったとしても、現地に行かないと、分からない情報は、たくさん、ある。

百聞は一見に如かずは、やっぱりそうなのだ、と、今日も思うし、こういう所に、足を運ぶ度に、何度も思う。頭で分かるのと身体で分かるのは、違う。今日はまたひとつ、それを、身体で体感できた。

街に出るだけで冒険気分だった、中学生。
目に見える世界が全てだった、高校生。
東京に出てから、地元の街が少しだけ小さく見えた、大学はじめ。
地元でのイベント開催を通し、街の違う顔に出会えた、ここ1年。

同じ場所だとしても、見え方は、くるくると、変わっていく。

ダウンジャケットを無事に手にした帰り道。母校の制服を着ている人が、歩いていた。もう、私が知っている学校は、ないかもしれない。

もう、あの人に、会えなくなった。
あの場所に、行けなくなった。
でも、新しい場所が、生まれた。
ここじゃないと出会えなかった人に、出会えた。

同じ場所だとしても、時代も、人も、循環している。

***

庭園で見た「一期一会」という掛け軸が、今日は、妙に、頭に残っている。

これからも、私は、足を運び、流れに身を任せる生き方がいい。そこでの、小さな偶然が運んでくれる出会いに、喜びを忘れない人がいい。

そしてまた、同じ街と出会いたいのだ。

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