見出し画像

フィルムにしか写らないもの

フィルムだとデジタルよりも撮る枚数が減ります。
それだけでなく、撮るものも変わります。

なぜでしょう。フィルムでしか撮らないものがあるのです。

---

それは、持つカメラによって見えるものが変わるということです。

デジタルで撮るときは、目の前のものをためらうことなく「記録」していきます。感覚の表面が反応する感じ。それができるのは「何枚撮ってもタダ」だからです。

---

フィルムカメラを手にしている時は違います。
1枚撮るごとに70円。単なる記録のためにシャッターは押せません。

だからフィルムで撮るときは、より波長の長い、感覚の深くまで入り込んでいるものだけに反応します。表面だけの情報はfilter outされるのです。それがどんなfilterなのか言葉にできませんが、フィルムに写っているものには「自分=世界」を知るための鍵がありそうです。


Apr 2024, 篠目, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
いちばん好きな駅は?と聞かれたら、山口線の篠目を挙げます。はじめて訪れたのは小学生の時。3人の駅員さんがいた駅は今では無人になってしまいました。でも、駅舎や周囲の風景はほとんど変わっていません。とても落ち着く桃源郷のような場所です。
Mar 2024, 雨引観音, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
雨引観音ではクジャクが放し飼いされています。そのうちの1羽は娘が小学校で世話をしていたものが引き取られたものだそうです。でも、本人でも見分けることはできないらしいです。
Mar 2024, 那珂湊, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
毎月のように那珂湊周辺に行くのは、漁港の匂いがこどもの頃を思い出させ、気持ちをリセットしてくれるからです。「市場寿し」では高級なものは食べずにメダイ、ホウボウ、ハマチ、カンパチ、アジ、イワシあたりの200円台のお皿を選ぶとお得感が高いと思います。
Feb 2024, 紋別, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
30回くらい訪れている紋別。鉄道が廃止されて35年が過ぎ、地元の人は「昔にくらべると寂しい街になった」と言います。でも、わたしはそんな「昔は栄えていた街」の雰囲気が嫌いではありません。
Mar 2024, 外川, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
銚子電鉄の終着、外川はとても素敵な町です。港への坂道、碁盤の目のような道路沿いに立ち並ぶ家々。隅々にまで海の気配が染み込んでいるようです。
Apr 2024, 喜多方, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
坂内の行列が長いとき、隣の松食堂とどちらに並ぶかが悩みどころです。席数が違うので、行列が倍以上長くても坂内の方が早かったりするからです。この日は松食堂のラーメンを食べたい気分だったのですが、坂内の前の桜をゆっくり見たくなって坂内に並びました。
Apr 2024, 境港, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
もしわたしが記憶を失って失踪したら、きっと境港にやってくる。そう思えるほど、深いところでの親密さを感じる町です。そこは植田正治さんの暮らした町でもあるです。


フィルムだけに写されたもの。

「ぽっかりとあいた空間」や「ただ存在しているもの」が多いように思えます。それらは、「物語がはじまる前」あるいは「物語の終わった後」のシーンのようにも見えます。

前にも書いたように、フィルムに写るのは過去と未来を内包した「不在」と言えるのかもしれません。


Jan 2024, 自宅, F3/T Ai Nikkor 50/1.4
娘に寄った写真もフィルムでしか撮れないものです。写真に撮られるのを嫌う娘ですが、なぜかフィルムカメラだと抵抗がないようです。


いまから30年前にはフィルムで「記録」のための写真を撮っていました。まだデジタルという選択肢はなく、フィルム代も現像代もいまよりずっと安かったのです。デジタルが主流になり、フィルムが高騰したおかげで、フィルムは新たな力を手にしたことになります。それは、わたしが「フィルムを湯水の如く使えるほどのお金持ちではない」おかげでもあります。

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。