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ありふれた光の中で

我が家の狭いベランダが観覧席になったのは、チケット売り場に並んだからじゃない。毎日無料で配られるチケットに気づいたからだ。僕は突然舞い込んだチケットを握りしめ、ゴクリと唾を飲み込む。

「あ」と叫んで、4歳の娘は食卓から消えた。

「見て!」
娘はベランダの手すりから身を乗り出してる。

「おお」と、僕は隣りに並ぶ。

「わあ」とうちの奥さんも慌ただしい家事から抜け出し、僕らは風の中でほんのつかのま家族を決め込む。

夕焼けだった。それはありふれた午後6時の空で、もちろんニュースでは報道されないだろう。世の中にはもっと重要なことがあって、人々が気にしなければならないことが山ほどあるから。けれど、チケットを握りしめた僕らはこの夕焼けのために時間を使った。食卓から離れ、家事の手を止め、今という人生の時間を不思議に赤らんだ光の中で過ごしたんだ。まるで、この夕焼けを見るためにこれまで生きてきたみたいに。

「きれいだね」
言葉にしても嘘にはならないのに、どうしてだろう。
いけないことを言った気がして口をつぐんだ。

空から雪のように夜が降ってきて、街の上に降り積もっていく。家々の影は垣根を越えて手を握り合わせ、どこか遠くで「リリン」と自転車のベルが鳴る。振り返ると、台所で鍋がぐつぐつ煮えていた。食卓には家族分の食器が伏せてあって、娘の折った折り紙のツルが音もなく羽を広げている。

「きれいだね」
そう言いたいまま、僕は微笑んでいた。
黙っていても人の営みは美しい。

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