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ユキと氷が遺すもの(後編)

前回のあらすじ。

2018年末の深夜、蛍光灯を買いにあたりを彷徨っていると、雪の深く積もるとある家で、ひとり雪かきをしているユキオという男と出会った。彼が雪の中から掘り起こしたものとは…

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イカ続きくコ:彡

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その家の主人は、近所ではちょっとした有名人だった。

老夫婦の家は二人暮らしで子供もおらず、農家らしい広い家だったので、ふだんはひっそりと静まり返っていた。

それを寂しく思ったのか、主人はいつからか、冬になると雪や氷の像をつくるようになった。

いろいろな動物とか、はやっているアニメキャラをよくつくっていて、ユキオが子供のころは、冬になるとアンパンマンやドラえもんといった手製の雪像で、広い庭がうめつくされていた。

学校帰りの子供たちがいつもあつまるようになり、とても賑やかだった。ユキオ自身も子供のころは、その像を楽しみにしていた。

「ねえおじいちゃん、これはなんの像?」

当時、幼いころのユキオは、一心不乱にノミをふるい、何か動物の像を創っている主人にそう尋ねた。

「これはね、今年の干支のいのししじゃよ」

「なんでこんなのつくってるの~アニメのキャラもっとつくってよ」

ユキオはそういって頬を膨らました。主人はそれに対して苦笑するだけだった。

主人は毎年、年末になるとその年の干支の像をつくって新年を祝っていた。年明けには子供たちにお雑煮やおしろこをふるまっていたりもしていた。

ユキオが成人して家に行かなくなった後も、その時代時代の子供たちに雪像を披露し続けていた。

しかし、数年前に夫婦が亡くなり、今や家は無人となっていた。当然氷像が創られることもなくなってしまっていた…

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雪の下にはユキオが数日前から作っていた亥年の氷像が隠れていた。

「なんとか年内にまにあわせたかったんですけどね、まさかこんなに雪が降るとは…」

子供のいなかった夫婦が亡くなり、氷像を作る人はいなくなった。ただ、このユキオがその意志をつごうとしていたのだ。誰にも、もちろん生前の夫婦に頼まれたわけでもないのに。

「じゃあオレが雪かきしますんで、氷像仕上げちゃってくださいよ。年内にはなんとか間に合わせましょう」

と、わたしは彼からスコップを借りて、周囲の雪かきをはじめた。

スコップをふるいながら、わたしはユキオがなぜ、夫婦の没後何年もたった今、氷像をひとりで作り始めたのだろうか、と疑問に思っていた。

いつか風がやみ、ゆっくりと舞うように降る雪がわたしの視界にちらついている。水をふくんだぼたん雪が、わたしの思考にじゅっと溶けていくようにふりそそぐ。と、何か熱のようなものの中に、ぼんやりといくつかの光景が見えてきた。

…ユキオは自分たちが楽しかった思い出、それを今の子供たちにも伝えたいのか、それとも純粋に氷像をつくった夫婦の意志を継ぎたいのか。いや、過疎化する地域を盛り上げたいのだろうか。…どれもしっくりこない。

やがて、雪の下からいくつかの氷像や雪像がでてきたが、それはすべて干支の亥だった。アニメキャラなどはいっさいなく、どれも完成にはいたっていない。ユキオが製作途中で、出来が気に入らなくて放置したものだった。

「ずっと考えていたんですよ。あの人はなんでずっと氷像をつくっていたのかって。最初は自分がさびしいとか、子供たちのためとか思ってたんですけど、それだけじゃない」

ユキオはぽつりとそういった。

急に、あたりはふわりとした明るさに包まれた。底冷えする、顔がひりひりと痛くなるほどの冷気が、さっと広がっていく。雪が降っているのに、空には大きな月が出ている。氷像はその透明な肌の奥に、降り注ぐ青白い月光をすこしずつ、ともしびのようにじっと蓄えていった。

ユキオは氷をけずって、中にろうそくの火をともした。

「ただ単純に一人の芸術家として、雪と氷で表現する、うつくしいものを残したかったんじゃないかって。それを誰かに、見てもらいたかったんじゃないかって…」

家の主人が同じように、氷像の中のろうそくに火をともす光景が、ユキオの目には強烈にやきついていた。彼はそれを今思い返していた。ユキオの目には楽し気なキャラクターや、子供たちに囲まれてうれしそうにしている夫婦よりも、像と、氷と、降る雪と、雲間からかすかに挿す光が、呼応するこの光景が、ずっと焼き付いていたのだ。

月を仰ぎ見る亥の氷像に白いカーテンをさっとひいたような雪がおりる。すでに月は隠れてしまっていた。月明りがさしたのは、ほんの数分のことだった。

「何かを残してあげたかった。あの人が、生きているうちに…」

極寒の地では涙さえ、まともに流すことはできなかった。なぜならすぐに心ごと、凍り付いてしまうからだ。

わたしは凍り付きそうな唇をようやく動かして、白い吐息とともにこういった。

「でも何十年も前から、たくさんの、その世代世代の子供たちが氷像を見ていた。きっと彼らの記憶には、その美しい光景の記憶がしっかり残っていますよ。今のあなたのように…」

すっかり凍ってしまった涙を、内側から溶かしていく何かが、そこにはたしかに存在していた。

「何かを残すというのなら、こうやってあなたが何かを表現し続けることが、そうなのかもしれませんね」

当たり前だが、雪や氷といったものは、いつかは溶けてしまう。それでもそこに表現すべきものがあるのなら、すぐに溶け消える運命だとしても、その一瞬さえ、存在しなければならなかったものではないだろうか。

彼らの心に残った記憶は、すぐに溶け消えるようなものだったからこそ、より美しく、しんしんと降り積もる雪のように、深くゆっくりと残ったのではないだろうか。

すでに2019年を迎えていた。わたしはユキオの軽トラの荷台にあった蛍光灯を一本もらって家路についた。帰りには初詣を終えた人たちがちらちらと見みかけた。

ユキオに限ったことじゃなく、ヒトはつねに、何かを必死にのこそうとしている。雪はそれはあざわらい、すべてを覆いつくして消し去るために、今もこうして降り続けているのか。

それとも、ヒトの意思を白く美しく映えさせるために、周囲を覆いつくしているのか。

ただ言えるのは、どちらだろうと、ユキオは降る雪を固め、いつか溶け消える氷を削って、何かを表現しつづけるのだろう、ということだけだ。

消えるというのも一種の、存在し続ける表現方法なのかもしれない。溶けた雪は、水と、蒸気と姿を変えて、それでも永遠に、存在し続けるのだから。

#エッセイ #コラム #小説 #雪

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