午睡の夢
わたしは役所の公示を見てから家に帰ってくるまで、興奮と夢中でなにがあったのかほとんど覚えていなかった。
「やったよ、お父さん!あたったんだ!選ばれたんだよ、オレたち!」
それどころか、父にそう叫んでから、今日この日を迎えるまでのほとんどを、あまり覚えていない。
今年で40をこえるわたしと、80も近くなった両親。わたしたちは田舎の貧しい、どこにでもいる3人家族である。その日の朝、家族はホテルの部屋をでて、ともにその場所へ向かっていた。
「おはよう、昨日はよく眠れた?」
「ねえ、やっぱりやめない?なんだからおそろしいわ、やっぱり…」
「いまさら何いってんだよ、だいじょうぶ、こわくないよ。同じように、選ばれた、みんなと一緒さ」
わたしはそう言っておびえる母の背中を撫でた。こわいのは当然だろう、わたしだって実はそうだ。でもいままで、人生において何度も、こんな困難に見舞われてきた。家族が一緒なら、今回もきっとのりこえられる。わたしはそう信じていた。
あたりには報道陣も多く詰めかけている。わたしもこの日の実現ために、活動に従事していた一人だったので、代表としてインタビューを受けた。
「今回の件に関しましては多くの批判もありますが…」
「わたしは決してそうは思いません。わたしたちは堅い決意でこの道をえらびました。逃げや敗北などでは決してない。この世界は確かにすばらしいものです。しかしこの先にもっと、よりよい新天地があるのではないか、先人たちはそうやってあらたなフロンティアを切り開いてきました。わたしたちもその偉業にならったにすぎません」
完全な抽選で今回選ばれたのは20人。さまざまな人たちが、それぞれの理由を抱えて、新たな旅路につこうとしている。わたしたちのような庶民もいれば、今回の法案成立を陣頭でおしすすめた政治家もいる。彼はすべての財産を寄付して、この場に来ていた。
「でも、もうこれでつらいこともなくなるのよね。この先に進めば…」
「そうだよ、かあさん。もうこんなつらい世界とはおさらばだ。誰も見てくれない、認めてくれない、くだらなく下品な流行がはびこる、こんな世界とはね…」
ふと、わたしの目の前にいたのは、視察に来ていた時の首相である。遺伝子治療により御年120をこえてもなお現役で、あと30年は現役を続けると普段から豪語していた。
わたしは思わず、彼の顔に唾をなげかけた。
警備員にとりおされられたわたしを、首相はハンカチでごしごしと唾をぬぐいながら見下してくる。あわれみというか、まるでゴミか虫けらをみるような目つきである。
「お前が!お前のせいで俺たちはこんなことになってるんだ。年老いてもみじめに権力にしがみつく、おまえたち、利己的なジジイどものせいで…」
もういいといったあきれ顔で首相は警備を制した。どうせ今のわたしに罪を問うても仕方ない、といった感じだろう。
わたしたちは10畳ほどの小部屋に通された。周囲は真っ白で、ごくふつうの生活空間といったふうである。ベッドやテーブルなどもきれいにととのえられている。
父はソファに横になってテレビをつけた。母はとりあえず台所にたって、調理器具やらをひととおりみまわしている。
そろそろ、ちょうどおひる12時を迎える。秒針がきざむちちという音がいやに心地よい。わたしはベッドによこになり、昼からうとうととしだした…
目のまえがふっとまっしろで、柔らかい光につつまれていく。おだやかで、春の草原のような温かい風が、頬をなでて、さっとわたしの全身を駆け抜けていく。
淡い光にかききえそうなものが、確かにある。これは子供のころ、どこかで見たような景色である。しかし場所に心当たりはまったくなかった。
やがてすべてが、真っ黒な空間にぐにゃりと潰されていった。すべては…夢も希望も、意識も、わたしの体ごと細切れになって、黒いものに飲み込まれていく。かすかに電撃のようなものが走っている。
そうだ、あの白い穏やかな景色は、子供のころ、世の中に抱いていた希望だ。この黒いものはとっく昔から、わたしの目の前に押しよせて、その中に、飲み込まれていたんだ…すべてが、わかった。
かすかに、誰かの泣き叫ぶような声が聞こえた…
***********************************
西暦2049年。改正安楽死法の原案は実験的に、一部の熱烈な希望者たちによって実施された。1997年に成立した臓器移植法をその発端、前身としたこの法律は、幾たびか変遷を迎え、今日ここに、ある意味完成を迎えることになる。
ゼロ次元と言われるこの空間は発生させると、痛みもまったくかんじさせず、ただ眠っている間の一瞬に命を、というより存在そのものを抹消することができた。
厳密に死んだとは言えないかもしれない。何しろ遺体のひとかけらさえ、まったくのこらないのだから。ひょっとしたら本当に、新しい世界に旅立ったのかもしれない。
ちょうどお昼ごろに実行されることから『午睡の夢』と名付けられたこのプロジェクトは、その後実施される直前になって辞退した、かの政治家をふくめた当事者7人も含め、長い長いあいだ、是非をめぐる議論を繰り返されることになる。
『自ら死を選んだ先に、ヒトはきっといつか死さえ超越するようになる』
『ヒトという種は進化の限界を迎えている。これはあらたな生物にその首座をあけわたす、世代交代にすぎない』
『ヒトに生まれる自由も死ぬ自由もない。ならば死ぬ日と理由だけは、自分で決められてもいいんじゃないか』
『い の ち を だ い じ に』
様々な意見は出るだろうが、それは手向けの花にさえならないのだろう。後に残った者たちにできるのは、ただ彼らの新たな旅立ちが、平穏無事であることを、祈るだけである。
※元ネタ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?