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金舟(かねふね)

※タイトルかえました。

NY、そして日本株の暴落。こういう相場を見ていると、わたしはかつて、先物取引で数千万の大損をして退場したA氏のことを思い出す。彼は退場の際、巨額借金の明細の表示されたスマホをかるく見せながら、ひきつった笑みとともに、わたしに気持ちを話してくれた。もちろんわたしからは、そんな死刑宣告のようなデス・スマホは見えなかったし、見たくもなかった。

怒り、嘆き、悲しみ、絶望失望、さまざまな感情をないまぜた社会の掃きだめのような愚痴をゲロ吐きするのかと思ったが、Aは思いのほかすがすがしい笑顔を見せていた。何も力になれなかったわたしなんかへの感謝と、ただひたすら自分の力不足を語るという、湘北に破れた某田岡監督さえほうふつとさせるような、男らしいいさぎよさだった。相場に向かって眉間にしわをよせながら、シネカスボケと呪詛を吐いて、マウスとモニターを叩き割って血まみれになっていたころとは、まるで相場の神(悪魔)という憑き物がとれたかのような別人ぶりだったのだ。

田岡監督、相場をはりたいです…ではなく、Aの何が間違っていたのだろうか。たしかに一時の感情でミスをしたのかもしれないが、ミスなんて人間ならだれでもするじゃないか。かれは紙一重で大金を、勝利を、栄光を掴む位置にいたはずだ。それがなぜこうなってしまったか。

いや、これは必然だったのだろう。Aはなるべくしてこうなったのだ。ただ、わたしには栄光にしがみこうとして、あえなく夢破れ、その果てにすべてを失い、それでいてすがすがしく笑う彼の姿が、世間でもてはやされる成功者たちの、のっぺらぼうのような笑みと、何ら違わぬようにみえた。いや、その絶望と諦観を、良識という薄皮でかろうじてつつみこんだ表情は、だれよりもずっと人間らしく、絶望のふちにいたからこそ、大事ななにかを得ているような気がした。

Aはわたしそのものだったといっていい。損失をくらってがたがたと震え、頭を抱えたかと思えば、もうけをえて聖人のようにもっともらしい言葉を述べたりと豹変するそのさまは、わたしどころか、まさに数多くいる、弱いふつうの人間、そのものだったのだ。

勝者と敗者の住む場所は、某天空闘技場のフロアマスターと流星街の浮浪者ほどちがえど、彼らは他に、いったい何の差異があるというのだろうか。運?才能?技術?そんなものはとてもちっぽけのように思えた。運命という荒波の前では塵に等しいのではないか。わたしには両者に、それほどの高低差を生み出す違いなど、何もないように思われた。それこそ粕みたいなダメージの投石距離が1ヘックスのびる程度でしかないのではないか。彼らもたえず失敗し、屈辱にまみれ、血反吐にまみれる可能性を抱えて生きている。それなのに世間は光の当たる場所にのみ、承認欲求という名の優雅な会員制のカフェテラスを用意し、いわゆる紙一重の成功者にしか会員証を配布しない。その周囲では、成功者の言葉こそ唯一無二だと声高に主張する信奉者たちが、こわれたおもちゃのように、がくがくと首を傾けている。彼らは信奉者に敗れた者が最後の一滴まで血液をふりしぼり、あがき、もがくさまを見ても、その敗北の価値にも気づかず、滑稽ぶりを笑い話として捧げるのである。

名もなき人の声を聞け。敗者の信念に頭をたれろ。わたしという敗者はまさにそうささやいている。人間は成功より失敗のほうが学ぶことが多い。

彼は最後に、ぽつりと、死にたいと言って姿を消した。

わたしの声はもはや彼の深い絶望には届かないのだろう。薄情かもしれないが、わたしにはそれ以上、伝えようとする気力もなかった。なぜなら、彼の絶望はたしかに、わたしの絶望でもあったからだ。わたしもまたいつかあのようになるのではないかと怯え、震え、そんな現実が迫っているような気分に陥った。

その夜、夢の中で、Aはやはり穏やかな、とてもすがすがしい笑みをうかべてこういった。「人間は知恵のある生き物だろう。苦しいもの、つらいもの、痛いもの、貧しいものから逃げるのは、知恵のない犬畜生と同じだ。知恵にてそれに耐え、対策を講じ、克服するための戦いに赴くのだ。ただ光の当たらない場所を見ろ。暗闇にさす一筋の光こそ至高である」と

わたしはこう答えた。「生きている限り我々の戦いは続く。死にたいほどつらくなったら、生きろと無責任にいう偽善者にナイフをつきつけ、じゃあお前の命をよこせと、耳元で念仏のようにささやくがいい。おまえが死んでもうかる奴が確かにいる以上、絶対に死ぬべきではない。お前は生きて生きて生き続けて、そいつの死でただもうけるのだ」

…今、Aが何をしているのか、まったくわからない。生死さえも不明である。しかし彼は、相場で生きる以外の姿を、きっと誰にも見られたくはないだろう。だからわたしは彼を探すこともない。

わたしは初夏を迎えると、道端に咲くタンポポをデスクのモニターそばにそえる。Aとスカイプで話した場所である。花言葉は「幸福」。地獄のような相場にもどり、そこで成功を収めることが彼にとっての幸福なのだろうか。わたしにはわからない。彼にもきっとわからないだろう。タンポポの咲きはじめる初夏の候は、わたしにそんな酸いたような青臭さをたしかに、絶望の記憶を織り込んで、良く運んでくれる。

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