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<連載小説>昨日のような、明日を生きよう<18>

名前を呼ぶ

「あかちゃん、かーいーね」
 綾はずっと眺めている。ほっぺたを突いてみたり、手足を触ってみたり、キスしてみたり。まるでペット扱いではあるけど、これはこれで可愛い。
「綾、赤ちゃんの名前は晴太くんだよ」
「せーた、くん?」
「そう、天気が晴れるに太いで晴太。晴れ晴れと図太く生きて欲しい、と思ってね」
 綾に由来を説明してみると、首を傾げた。まだ漢字の概念が無いもんな。
「決めたんだね、そっちに」
「今朝決めた。問題なかったら届けだしてくるよ」
「うん、お願い」
 最後まで、二つの候補が出ていたのだ。宮子も決め難い、ということで僕に一任されていた。
 晴太と勇人だった。僕の名前から一字取るのも良かったんだけど、ずっと眺めていて「晴」という字がすごく良く思えてきたのでこちらにした。
「せーた、せーた。おねーちゃんだよ」
 綾も晴太の名前が気に入ったようだ。によによしながら晴太のほっぺたを突いている。
 いや、綾の場合はお姉ちゃんになれることが嬉しいんだろうな。ずっと「あかちゃんはあやがまもるの」と言っていたから。
 それにしても退院まで残り二日、戻ってきたときの準備もしないとな。やることはたくさんだ。本当に古賀の実家から来てもらっていて助かった。うちの実家からも来てくれてるけどさ。
 古賀家は九州、ということでめったに会えないからとウチの親父も毎日のように来て酒飲んでいく。僕も巻き込まれるので最近はちょっと肝臓の具合が良くない。まったく昭和の人間は留まるということを知らない。
 楽しい時間が過ごせているから良いんだけどさ。
 綾はおじいちゃんおばあちゃんが毎日家にいるからお祭りが毎日の気分でいる。欲しいものは買ってもらえるしお菓子もジュースも止める人がほぼいない。僕のストップは誰にも聞いてもらえない。
 そのことを宮子に相談したが、「私が戻ったらいつも通りになるからね。今の内だけ許してあげて」と返された。
 わずか五日間のことだから、ということだ。
 まあいっか。
 個人的には退院祝いなども含めるともうちょっと続きそうな気はするが。
 出産前が結構張り詰めた感じだったのでその反動だろうと思っている。
「綾、そろそろ帰ろうか。赤ちゃんが生まれました、って申請に行くよ」
「うまれましたって?」
「そう。そうしないと晴太は学校に行ったりできなくなっちゃうんだぞ」
「え!? かわいそー、はやくいこっ」
 綾はパズルを始め、学習系のものに興味を持っている。ものを数えたり英語とか、文字や漢字にも興味を持っていた。見よう見まねで自分の字を書こうとしていたり。絵本も大好きだ。その代わりに運動は苦手そうだった。遊ぶは遊ぶのだが得意という感じではなさそうだ。
 晴太はどんな子になるのだろう?
 男の子だし元気いっぱいに外で遊ぶ子になるのかな。それとも綾を見習って絵本大好きっ子になるのだろうか。
 まだ開く時間の少ない、起きてるんだか寝てるんだか分からない小さな瞳、指を差し出すと握ってくる小さな手指、バタバタと良く動く足、か細いけどしっかりと主張してくる張りのある声。
 まだ何者でもない、でもこれから何者かになる小さな命。
 僕は彼に、そして綾にも何ができるのだろうか。何をしてあげればよいのだろうか。
 よく分からないし、今後も分からないだろう。
 たぶん、僕にできるのはただしっかりと前を向いて良きることなのだと思う。強い姿も弱い姿も、本音も建前も、いろんな自分を見せることが一つ一つ子供たちの糧になるんだと信じて、決してあきらめず、前に進み続けることなんだと思う。
「チチ、はやくいこ」
 そう言って手をつないでくる綾に、僕は微笑みかけた。

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