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【まったり骨董日記_vol.32】ヒトを惑わす、李朝の「白」

先日は、我が夫が懇意にしてもらっている京橋の古美術店さんへ。
年末に伺うつもりが慌ただしさに日を逃し、新年に入ってのご挨拶となりました。

昨年末にちょうど改装を終えたばかりという、こちらの店舗。
もとからモダンで素敵なお店でしたが、室内にあった仕切り壁が取り払われ、さらに開放感あふれる空間に生まれ変わっていました。

また、店頭のショーウィンドウは障子を思わせる格子窓となり、玄関の上には、アンティークのステンドグラスがはまった明かりとりの小窓も。
和洋を取り合わせながらも、落ち着きあるシックな雰囲気にまとまったインテリアは、何事にも大らかで物腰柔らかくもスーッと1本、筋の通った店主Aさんのお人柄そのもののようです。

さて、我が夫とは15年来のお付き合いがあるAさん。
夫の嗜好を見事なまでに熟知していて、お店を訪れるといつも、「これをぜひ、見ていただきたかったんですよ」と夫好みの李朝や古唐津などを出してきてくれます。

それは、まるで魘夢のささやき。
骨董・古美術の“無限列車”に揺られて夢にひたるだけの乗車賃など、もともとウチにはないんですよぉぉぉぉ〜という私の切なる叫びは、長らく夢を見続けている夫には届きません。
助けて、煉獄さ〜ん!!!!

そして今回、Aさんが特にコレぞ!と見せてくれたのが、李朝前期の白磁盃です。
李朝とは、1392〜1897年の約500年間にわたる朝鮮王朝のこと。
(ちなみに正式な歴史用語では、李朝<李氏朝鮮>とは呼ばず、<朝鮮>という時代区分になるそう)

李朝のなかでも前期(1392〜1469年)の白磁は薄づくりで、色合いは「白」といっても青みがかったものから灰白色まで、さまざまあるそう。
今回拝見した白磁盃は、Aさんがその昔一度だけ出逢い、現在に至るまで探し求めてきた「理想の白」であり、これを見たときは「神の器」だと思ったとすら言います。

「店内のライトじゃ、ホントの色がわからないから自然光で」と、本降りの雨にもかかわらず盃を外へ持ち出し、大のオトナが二人してわいのわいのと大盛り上がり。

。。。うん、白い。
たしかに白い、白いよね。。。

我が夫が20代前半、まだ古美術をはじめたばかりの頃に買ったという李朝後期の小壺や小皿の青白さとは違う、純朴な白。
きりりと光る中国白磁の白とも違う、柔らかな白。
ましてや、現代の工業陶器にあるようなピカピカの白とも、まったく異なります。
しかし、「白い」ということだけで、こんなにも盛り上がるって一体。。。

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夫の持っている李朝後期の小壺と小皿(上記)は、青みがかっていて白磁というより青磁のような色合い。これは李朝後期の「白」の特徴だそう。

そういえば、ほかの品々に関しても「ここに出来たシミが〜」とか、「この釉だまりの色が〜」とか、「ここのシュッとしたラインが〜」とか、夫とAさんの会話に出てくる萌えポイントは、とにかく微細です。

夫に関しては、元来、各種ポイントカードの現在のポイント数と有効期限をすべて手帳に書き込み、日々更新を欠かさないような小者っぷりゆえと納得感もありますが、まさかAさんが同類だとは思えません。
古美術趣味とは、こうした些細な差異に「究極の美」を見出してこそ成り立つものなのでしょうか?

我が夫いわく「李朝でも古唐津でも何でも、自分が理想とする一品との出逢いを追い求めるところに古美術のおもしろさがある!」のだそう。
おお、まるで、トレジャーハンターのようなロマンあふれるセリフ。
ですが、毎日ちまちまと買い物のレシートをチェックし、私がポイントカードをうっかり忘れて買い物しようものなら三日三晩は意気消沈しているその姿に、まったくそぐわないのが実に残念です。

古美術趣味の人のなかには「究極の李朝白磁、あるいは信楽の壺を手に入れることができたら死ねる」とさえ言う人がいるのだとか。
それほどまでにヒトを惑わす、李朝の「理想の白」。
拝見した白磁盃も、約600年もの時を経てなお無垢な白さを保っているのですから、えもいわれぬ妖しの力をまとっていたとしても不思議ではないかもしれません。
もしかしたらそれは、遊郭の客人たちを魅了した堕姫花魁の肌の白。。。
助けて、天元さま〜!!!!!!

今年もまた私、「全集中の呼吸」で夫を見張っていくことになりそうです。



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