見出し画像

映画#127『ザ・ホエール』

『ザ・ホエール』(”The Whale")

監督:ダーレン・アロノフスキー
原作:サミュエル・D・ハンター
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ジェシー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス、サティア・スリードハラン
製作会社:A24、プロトゾア・ピクチャーズ
配給:A24(米国)キノフィルムズ(日本)
公開:2022年12月9日(米国)2023年4月7日(日本)
上映時間:117分
製作国:アメリカ合衆国

Wikipediaより引用

【あらすじ】
40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。

映画.comより抜粋

赦されざる罪を償うことはできるのか。迫り来る「死」という結末にどう立ち向かい、その中で彼は自分自身への救いを見出すことができるのか……

今作『ザ・ホエール』は、『ハムナプトラ』にて主演を務めたブレンダン・フレイザーが、体重200キロ超の巨漢として登場する。あるアパートの一室という狭い空間の中で繰り広げられる、苦しみを背負った者たちによる会話劇。


大学のオンライン講座にて教鞭を執っているチャーリー。しかしその実は、愛する者と家族を捨てて駆け落ちし、そして愛する者を失い、現実逃避の末過食症を発症。健康を害し、遂には余命僅かとなってしまっていた。体重272キロ、皮膚は爛れ、心臓の痛みに常に苦しみ、マトモに立って歩くことすらままならない。

……忖度無しに言ってしまうと、その姿はとにかく「おぞましい」。彼の複雑な過去を知る我々はともかく、何の事情も知らぬ赤の他人が彼を見たらきっと戦慄することだろう。

だが第三者からの視点を以てしても、彼の醜い容姿にどこか「切なさ」を感じ取れるのも確かだ。目を腫らしながらほくそ笑む、彼の物憂げな表情にどこか心を揺さぶられてしまう……

私はフレイザー本人、それから制作陣が作り出した「醜さと切なさの融合」に素直に感服した。よもやここまでバランスよく描写することができたとは……。


「家族を捨てた」という罪を犯した彼へ伸し掛る罰はとてつもなく重い。歩くことも出来ず、常に心臓の痛みに晒され、当の家族には何年も見放され……8年ぶりに娘のエリーと会って交流していく中で、見限られつつも心を交わしていき、娘の成長を目の当たりにし歓喜するも、笑い声を上げたことにより心臓が痛みだし、歓喜の表情は苦悶に染まり……

「大罪を犯した彼がこうなるのは当然である」と思う部分はあるものの、その姿はとても見ていられない。そんなチャーリーを苦しみから救おうと、彼の友人・家族たちは彼に諭し続けるのだが……「緩やかな死こそが自分の贖罪」と信じて疑わない彼には一切届かない。


ところで、作中ではチャーリーを「信仰」によって救おうとする宣教師の青年が登場する。彼の存在もまた「ある意味」チャーリーの苦しみの一部分となっているのだが……彼は実に良いキャラをしていると私は痛感した。

「この聖書を読めば……」「信じる心こそが……」と、あの手この手でチャーリーを自らの宗教へ勧誘しようとするのだが、ストーリーの終盤にて彼の今までの行いは全て自分のためだったということが発覚する。

(演じたタイ・シンプキンスは『アイアンマン3』のあの子供。)

「あんだけチャーリーを救いたいとか言っといて結局は自分至上主義かよ!!」と心の中で嘲りつつ、彼は今作における「信仰へのアンチテーゼ」そのものを体現しているのではないかと感じた。

信仰なんてものは傍から見ればただの盲信で、あるものは残酷な現実のみ。信者の方々には大変申し訳ないが、彼らが紡ぐ言葉というのは正直妄言にしか聞こえない。ましてや勧誘なんて以ての外だ。いい迷惑でしかない(経験済)。


作中にて、チャーリーは画面越しの生徒たちに向かって「正直な言葉で書け」と言った。形ばかりの言語の羅列ではなく、本心からの言葉を吟味し書き連ねるべきだと。

今回、私が今作を忖度無しでレビューしようと決意したのはこれに尽きる。チャーリーの容姿の醜さに加え、過食症であるが故の食生活の穢らわしさ。『バビロン』でもそうだが、今作は本当にポップコーンと一緒に観る映画じゃないと断じて言える。そういうシーンで口に含んでいたものを少々吐き出しそうになってしまった私が保証する。

「美しさ」と「醜さ」の対比が素晴らしい映画でもある。

今作のキャッチコピーでは今作を「美しいもの」のように言い表しているが、実際はその逆だ。余命僅かなチャーリーが生きた証を残そうとする姿は確かに美しいが、私個人としてはそれでも「醜さ」や「汚さ」が勝ってしまった。本音を言うと、もう一回観たいとは決して思えない……そんな映画だった。


人間性という観点で見ると、とてもよくできてるとは言えないチャーリー。だがそんな彼が生業としていたのは意外にも教師という職業だった。

今思えば、私は今作を通して彼から色んなものを学ばせてもらったと思う。「ものを書く」ことへの姿勢、贖罪という行為への向き合い方、などなど……

チャーリーの行動は非常に身勝手。だがそれでも寄り添おうとする、彼を取り巻く人々が印象的。

今作が私の心に深~~~くぶっ刺さることはなかったが、心にずっと残り続ける映画となったことは間違いない。『エブエブ』が無双した第95回アカデミー賞において、見事主演男優賞を獲得したのも納得が行く。

一時期は映画界から干され、ブランクがあったフレイザーだからこそ、今作での役柄を熱演することができたのかなーとも思ったり。そう思えば、フレイザーがチャーリーを演じたのはある意味必然だったのかもしれない……。


己が犯した過ちとは、決して容易に拭えるものではない。カミサマに祈ったところで救済は降りないし、ツケを払うことになるのはどうしようもなく必然的だ。

だが、己が信じるべきものを信じ続け、初めてやり抜いた時、救済は果たされる「かも」しれない。鯨が海を回遊しどこへ向かうのか分からないのと同じように、我々も「可能性」という夜の海原を泳がねばならない。

島に辿り着くことができるのか、或いは道半ばで海の底へと沈んでいくのか。そこにはジーザスの助言も、お釈迦様の救いの手もありゃしない。信じられるのは自分自身のみ。

果てしない海を泳ぎ抜いた時、贖罪は初めて果たされるのだろう。

それではまた、次の映画にて。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?