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映画#147『TAR/ター』

『TAR/ター』(”Tar”)

監督/脚本:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、他
製作会社:フォーカス・フィーチャーズ、スタンダード・フィルム・カンパニー、EMJAGプロダクションズ
配給:フォーカス・フィーチャー(米国)ギャガ(日本)
公開:2022年10月7日(米国)2023年5月12日(日本)
上映時間:158分
製作国:アメリカ合衆国

Wikipediaより引用

【あらすじ】
世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する。今や作曲家としても、圧倒的な地位を手にしたターだったが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんな時、かつてターが指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは、追いつめられていく──

Filmarksより抜粋

画像出典:映画.com

世界最高峰のオーケストラ、その史上初となる女性指揮者として抜擢され、まさに人生における栄光の頂きに達していた「リディア・ター」。そんな彼女が時代の波に翻弄され、栄光という名の玉座から転げ落ちていく………即ち「栄枯盛衰」を描いたのが今作『TAR/ター』だ。

主演は名優ケイト・ブランシェット、その狂気的とも呼べる演技力と緻密な映像表現が大きく評価され、第95回アカデミー賞では実に6部門ものノミネートを達成した。


劇中におけるターは非常に利己的な人物だ。確かにその実力は確かではあるのが、一人の人間としてターを見た時に彼女を「よくできた人間」と言い表すには少し難しい部分がある。

優れた芸術家は人間としてどこか欠けてなくてはならない、とはよく言ったものでターもその例に違わず良くも悪くも頭のネジが数本飛んでいるかのような人物だった。

私自身、映像に関する芸術的なことを学んでいる身であるが故、傍若無人なターの姿には強い既視感を覚えたのである………あるいはそれ以上に酷いものを見たことがあるからこそ、何か共鳴する部分があったのかもしれない。


「人」という存在が必要不可欠なオーケストラという場において、ターは劇中徹底して「孤独な人」だったと言える………何故なら彼女は奏者を人ではなくコマだと思っているから。そこに奏者と指揮者の絆なんてものは無く、ターが何を言おうとも奏者が満足げな表情を浮かべることは一切ない。仮に彼女がジョークを言おうとも、帰ってくるのは乾いたような笑い声だけ………

だが何よりも悲惨なのは、彼女がオーケストラにおける自分の立ち位置を自覚できていないことだろう。この場所を支配できるのは自分だけ、自分以外がこの場を支配するなど言語道断、理想を叶えるためにはどんな手段も辞さない。

そう心の底から信じきっている彼女だからこそ、それが起因して彼の栄光の冠は徐々に朽ちていくこととなる………いやそもそも、その栄光の冠自体が欺瞞に満ちたものだからこそ、彼女の転落は必然的だったのかもしれない。


同じ音楽分野、天才であるが故の異常性、ポスターの雰囲気などから『セッション』を想起させられた人は決して少なくないだろう。舞台はバンドからオーケストラへ、狂気の主はJ・K・シモンズからケイト・ブランシェットへ。きっとラストシーンは、キャリアが転落しても尚ステージの上で狂ったように指揮棒を振り回すターと、荘厳かつ叫び声の如き重厚なオーケストラの音が映画館に響き渡る、観る者・聴く者の魂を揺らがせるような展開になるだろうと(私含む)誰もが思ったはずだ。

音楽を題材とした映画なのに音楽は一切なし。悩めるターの姿をひたすら見せられることとなる。

だがこの『TAR/ター』はある種のホラー、あるいはサスペンス映画だと言える。曇り空の林の中から聞こえてくる叫び声、暗闇の中から微かに聞こえてくるメトロノームの音、廃墟の建物から微かに聞こえる足音………音楽家のターだからこそ成せる「どこからともなく聞こえる小さな音」による恐怖演出は、もはやこれだけで一本のホラー映画が撮れるんじゃないか?ってぐらい巧みだ。

さらにそこへ絡んでくるのが「ジェンダーレス」「インターネット・タトゥー」などの現代的な社会問題。特に後者に関しては今作において鮮烈な印象を放っており、ターが世界最高峰のマエストロの座から引き摺り落とされるのもSNSの拡散が原因だ。

ターはSNSに毒された人たちを「ロボット」と一蹴していたが、そのロボットが原因でター自らが打ち立てた栄光が崩れ去ったというのは何とも皮肉めいた末路だ。


まさかのエンドクレジットで物語がスタートする、という今までにない映画である今作。監督のトッド・フィールドは、暗闇の中にびっしりと浮かぶ白いエンドロールの文字を「まるでオーケストラの楽器隊のようだ」と表現した。

だがこれらの文字の羅列は、ターが楽器隊をどのように捉えているかの象徴とも捉えられるのではないかと思う。楽器を演奏しているのは人間だが、そんな彼らを統率する指揮者たるターにはそう映っていない。「ロボット」「駒」「奴隷」………少なくとも彼女は奏者を「特例を除いて」人として見ていないだろう。長年ターに付いてきた熟練の奏者をあっさり切れてしまうほどに、彼女は徹底して冷徹な独裁者だ。

愛を手向ける相手はいれど、基本的な倫理観とやらはやはりどこか欠けている。

そして早すぎるエンドクレジットに続くは、ターへのインタビューのシーン。体感およそ10分にも及ぶ長回しの中で、ターは自らの考えについて述べ続ける………実際に劇場で鑑賞中は「長いなぁ」だとか「眠いなぁ」だとか「退屈だなぁ」だとか身勝手にも思っていたが、よくよく考えればこれ演技力凄まじいな、と………ケイト・ブランシェット、恐るべし。

その後の展開に関してもターが登場しないシーンは一つも存在せず、ずっとターの主観、あるいはどこからか覗いているかのような視点で物語が進行していく。ターがオーケストラにて絶対的な支配権を握っていたのと同様に、ケイト・ブランシェットもまたこの映画というの名のオーケストラにて確固たる支配権を有していたのだなと。


とは言えど、やはり私が今作に対して予想していたのは先述した通り「オーケストラ版『セッション』」なので、肩透かしを喰らってしまった感は正直否めない………が、アカデミー賞計6部門ノミネートは超・納得と言った感じだ。

むしろノミネート止まりで終わってしまったのが非常〜〜〜に悔やまれるほどに………正直、主演女優賞はミシェル・ヨーよりもケイトの方が相応しかったのでは?と思う(私自身、今年度の『エブエブ』祭りはあんまり納得がいっていない故………)。

にしても、ラストは本当にびっくりした。本当に唐突すぎて文字通りの思考停止状態だった。いやまぁ、色々元ネタとか知らないと「なんじゃらほい???」って感じではあると思うのだが………

真実を知りたくば、是非とも劇場へ。

それではまた、次の映画にて。



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