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資本主義ってそんなに悪者なの?

資本主義批判に対する違和感

SDGs、社会起業家、インパクト投資など、ビジネスの世界でも利益だけでなく社会的な意義を重視して活動しようという動きが活発です。ポストコロナの経済社会の方向性としても大事な論点でしょう。

地球環境は心配だし、鬱屈とした社会問題には心が痛むし、利益だけではない価値への意識が浸透するのは良いことだと感じます。

さて、このようなビジネスと社会的意義の接点が論じられるとき、
必ずと言っていいほど、「資本主義は行きすぎた」「ポスト資本主義を目指すべき」という表現がでます。

言わんとしていることは分かりますが、資本主義が諸悪の根源のように発言されるのには、違和感もあるのです。

私は資本主義やビジネスという仕組みは、世の中を豊かにしてきた効果的な仕組みだと思っています。100点満点の仕組みではないかもしれませんが、今でもその効用は小さくないはずです。
資本主義の効用を感じてきた身として、資本主義批判の何に違和感を感じているのか考えてみました。


資本主義とは

「営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている、経済的・政治的システム」(wikipedia)

とあります。他の説明も、だいたい似たような感じでしょう。

つまり事業に必要な資本(お金)を出した人=オーナーに、権限や利益(損失も)が所属する仕組みということだと思います。

この定義を踏まえると、「会社は誰のもの?」という質問に対し、従業員、顧客・・などの意見もある中で、「資本を出した株主のもの」という答えは自然な回答だといえます。

同じく、「会社の目的は?」という質問に対して、社会に付加価値をだすこと、雇用を守ること・・などの意見に対し、「株主価値の最大化」という答えは、資本主義の考え方に則った回答と言えるでしょう。

「資本家、投資家は強欲」というステレオタイプ

ここまでの説明に沿うと、
「ほら、資本主義では株主価値が最優先で、社会問題や従業員が後回しになるじゃないか」
「株主のために、常に成長や利益の追求を求められるじゃないか」

となるのですが、私の違和感のポイントはここなのです。

会社の目的が株主価値の最大化だとして、株主価値=経済的価値だとは限らないと思うのです。会社が株主のものだとして、その株主が強欲だとは限らないと思うのです

少なくとも私は、経済的価値の追求だけではなく、社会的意義や文化等を大事にする株主・資本家に会ってきました。
「どんな手段を使っても利益出せとは言わないから、いいものを作ってね」
「この会社のオーナーであることを自慢できることが一番の株主価値」
という株主・資本家の存在を知っています。

「資本家はもれなくみんな強欲で、短期的・直接的な経済利益だけが目的」
のように言われると、これまでに出会った株主・資本家が誤解されているようで気持ち悪いのです。

(学術的な研究や議論を除き)巷で耳にする資本主義批判に対する私のモヤモヤの原因は、具体的な論拠なしに、なんとなく「資本家は利己的で強欲」という雑なイメージで攻撃されていると感じるところなのです。

よく知らない人/会ったこともない人を勝手に強欲だと決めつける、そしてそのイメージだけで仕組み全体がダメだと決めつけるのは、国籍や性別で勝手にステレオタイプを作るのと同じで、ちょっと違うんじゃないかなと思っています。

資本家や投資家、そんなに悪い人ばかりじゃないですよ

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補足:
ちなみに、私は利潤追求、強欲を否定しているわけではありません。その効用も小さくないと思っています。ただ、資本家=強欲という前提が雑ではないかというだけです。

また、個人の意思とは別に、組織として利潤追求を強いられるメカニズムがあるのも理解しているつもりですし、そこには改善の余地があるのかもしれません。ちゃんとした研究ではこの辺りを踏まえて、反資本主義が論じられているのだと思いますし、それはたいへん結構なことだと思います。

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