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「勉強になりました」のあとに必要なこと

「勉強になりました」と言った後で行動していますか?

情報があふれる現代では、自分の知らなかった情報に触れる機会は無限に広がっています。しかし、情報を得ることが容易になっているからこそ、学びへと発展させることが相対的に少なくなっている気がします。

「勉強になりました」というフレーズは、敬意を表す一方で、その言葉の後に行動が伴わなければ、その学びの価値は減ってしまうのではないでしょうか?

「勉強になりました」と人が言うとき、その人はどのような気持ちでその言葉を使っているのでしょうか?

・いやぁ〜この人は僕の知らないことをたくさん知っているなぁと感心している。
・そうそう、それを言いたかったんだと言語化してくれたことに感謝している。
・新しい視点、学びの機会を提供してもらえたことに感謝している。
・謙虚さや礼儀正しさを相手に見せようとしている。
・コミュニケーションの潤滑油として、特に深い意味は考えずに使っている。

状況や文脈によってこれらのような心理を背景に使われていると思います。

「勉強になりました」を感じた時点で使うことはいいと思うのですが、この言葉のあとに学び行動が伴わない場合が多いんじゃないかなと思います。

僕も以前はよく「勉強になりました」と言っていました。
ただ、「いい話を聞けた」と満足してしまって、自分で調べてみることや問いを立ててみることをしなくなるなと感じていました。

学びは、新たな情報を受け取った瞬間から始まる可能性を秘めていますが、それをどのように自己の知識や行動に統合し、活用していくかが試されています。
受動的な情報の消費ではなく、能動的に知識を創出していくことが学びの本質だと思います。

「勉強になりました」と感じる情報に触れたのならば、そこから踏み込んで質問してみる、調べてみるなど学び行動をしてみる。そうすると、受動的な情報の消費者となることなく、自分で考えて学んでいけるようになると思います。

一方で、すべての「勉強になりました」を、ただちに具体的な行動に結びつけるわけにもいかないと思います。忘れる読書のように、時には、新しい知識がいつかの瞬間に役立つかもしれないという期待で、受け取った情報を蓄えておくこともいいかもしれません。

「いい本を読んだな」と感想を持つことが否定されないのと同じように、「勉強になりました」と伝えることも大切なことなのかもしれません。

今日の考える終わります。

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