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判断せずに観察することがよく生きることにつながる

美術館に行くと、絵を見ないで、解説を読んでしまいませんか?

この絵には何が書かれているんだろう?って解説して欲しくなってしまう。僕もよくやっています。

でも、これって目の前にある絵を全然見れてないんですよね。
何をしているかというと、自分が知っていることとの答え合わせをしてしまっているんですね。

『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』の中で、全盲の白鳥さんは、作品の背景に精通している人が披露する解説は「一直線に正解に辿り着いてしまってつまらない」と書いています。

白鳥さんは作品を前にして、目の見える人たちが作品を見て考えて話して、意味を探ったり発見するところを楽しんでいる。見ている人たちが「わからないこと」を楽しんでいる。

アートの鑑賞においても、人生においても、この「わからないを楽しむ」ということが大切だなと思います。

先日書いたnoteにも通じていますが、「わからない」を抱えて生きるのがよく生きることなんだと思います。

すぐわかるでは、人生を楽しめません。
わからないものを抱えて、問いを生み出し、仮説を立てて考え続ける。これがよく生きることに繋がると思います。

目の前の絵を見ないで、これは知っている、これは知らないと判断してしまうことで、観察をやめてしまう。わからないものを抱えて観察を続けることは大変です。自分の持っている知識で判断して効率よく生きることがときには求められるかもしれません。

ただ、僕は自分の人生においても教育についても、判断せずに観察することの大切さをいつも考えています。

佐渡島庸平さんの『観察力の鍛え方』に以下のような文章があります。

対象を判断せずに、観察をし続けるというのは、時間がかかる。判断をしないのだから、終わりがない。どうしてもすぐに判断をして、行動したくなる。変化を促したくなる。それに堪えることができるようにするのは、相手への深い信頼にもとづいた愛だ。


判断せずに観察することができるのは「愛」があるからなんです。愛を持って観察する。判断せず、わからないをわからないままに抱えて生きる。これがよく生きることに繋がると自分にも言い聞かせ、自分の子どもや学生にも伝えていければいいなと思っています。

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