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誰かよりちょっと幸せになりたいだけ。

いつだって、誰かより幸せになりたい。

でも、その誰かって誰なんだろう。
才色兼備な友達?SNSでよく見るキラキラしたインフルエンサー?
みんなから愛されるアイドル?知らない国のお金持ち?

いかにも幸せそうに生きているような人たちと、同等もしくはそれ以上に自分の方が幸せだと思いたいのか?

ううん、違う。
そんな人たちと比べて「自分の方が幸せ」だと感じたいんじゃない。
だって、わかってるんだもん。
そもそも人と比べるなんて、初めから無理なことも、
比べたって幸せを感じることなんてできないことも。

じゃあ、誰より幸せになりたいの?

そう、過去の私自身だよ。
今の自分が、過去の自分の行いや選択で成り立っているとするなら、
過去の自分より、今の自分が幸せでなくちゃ、いったい何のために頑張って生きてきたのか分からないじゃない。
いつだって「将来の自分のために」と、今の自分に鞭を打って生きているのに、その“将来の自分“が幸せになっていないなんて信じられないじゃない。
でも、今の自分が本当に幸せなのか不安になったり、本当に過去の自分と比べて幸せじゃないなんて答えに辿り着いてしまったら、もう、何も信じられなくなってしまう。
だから、今見えている目の前のなにかと比べることしかできなくなってしまうんだよね。
それが結局「誰かより幸せになりたい」なんて言葉にすり替わっただけ。

本当は、自分じゃない人と比べて幸せになりたいと願っている訳じゃない。
ただ、今の自分の努力や苦労、感じている辛さや悲しみの延長に、自分の幸せがあると信じていつか実を結んでくれること願い、自分の行いが全て正しかったと、その行いのおかげで幸せになれたんだと、そう言って肯定したかっただけなんだよね。
全ての想いが詰まった“幸せになりたい“という言葉は、その人そのものを象徴するものだと思う。
頑張ってきた人ほど、幸せになりたい、という。
でも、幸せだと言い切れないのは、自分自身で過去の自分と比べて答えを出せないでいるからだ。

だから、そんな人に言ってあげたい。
「大丈夫」「あなたは正しい選択をした」「よく頑張ったよ」「一生懸命生きてきたんだね」「幸せになる資格は十分にあるんだよ」と。
十分よくやった、それ以上でも以下でもない。
今のあなたが、あなた史上最高の幸せを感じていいんだよ、と。

誰かと比べなくても、あなた自身と比べればいい。
絶対に、今のあなたは過去のあなたより幸せになれる権利を持っているから。
堂々と幸せになればいい。堂々と幸せだと思えばいい。



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