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絶賛脱皮中の駐妻
自分が変わろうとしている気がする。
脱皮中、という表現がしっくり来る。
駐在生活も2年目に突入し、新しい自分に慣れてきたのか、去年とはまた違った形で生活を送ることができている。
最近気づいたこと。
私の自己肯定感は、後天的なものだった。
日本にいた頃は、自分に自信があったのに、駐在生活が始まってから、自己肯定感はダダ下がり、メンタルが安定しない日々が続いた。
英語や現地の言葉を勉強することで、それも少し向上してきて、生活が楽しくなってきた。
つまり私は私であるから素晴らしい、という自己肯定感ではなく、
私が手に入れた学歴、友人、仕事が素晴らしいという自己肯定感だったということ。
日本から離れなかったら、気付かなかったと思う。
なぜ、ここに来たのか。
旅行中夫に、
触ると幸せになれる銅像があるから触りに行こう!
と言った。
すると夫は
でも、今がすごく幸せだから、もっと不幸な人に譲った方がいいんじゃ無いか?とふざけながら言った。
そうか。この人は幸せなのか。
今まで、自分のことばかり考えていたことに気付いた。
自分には仕事もなくなった、友達もいない、家事もできない、
家事もうまくできないから、夫は不満に思っているかもしれない
なんて何となく心の底で思っていたかもしれない。
でもそうか、このままの私で私は夫を幸せにできているのか。と思ったら、
それはそれでいい気がする。
皇后陛下の雅子様が、ご婚約会見の際、
お受けいたしますからには、殿下にお幸せになっていただけるように、そして、私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したいと思います。
と仰った。
畏れ多くも、共感した。
結婚するからには、相手を幸せにしたいし、そのために努力したい。
家事がうまくできる奥さんにはなれないけれど、旅行を計画したり、夫好みの料理を作ったりするのはできる。
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日本にいる人たちが、先を行っている様に見える、置いてかれていくような気もする。
でもそれって、いつ経験するかに差はあれど、皆体験することなんじゃないだろうか。
駐在生活を送る人たちはきっと、多くの人がもっとずっと先に感じる思いを凝縮して経験しているのではないだろうか。
海外生活が始まって、気分がどん底になって、なにをしてもうまくいかない気持ちになること。
は多分誰にでもあって、その時は永遠に感じるけれど、いつかは終わる。
でももがいたその時間もけして無駄ではなくて、色々考えたり、悩んだり、そのために行動したことはきっと全部自分の糧になっている、はず。
行動できなくたって、1日寝ているだけだって、生活してるだけで偉いのだから、あまり気に病むことはない。
悩んで悩んで、寝るのに飽きたら、次になにをするかがきっと見えてくる。
脱皮した私にはなにが見えてくるのだろう。
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