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練り消し大王から学んだお話。

[練り消し大王から学んだお話]

今週から分散登校が始まった娘。

いろいろ思うことがあるのでしょう。
今朝、突然「ママは学校好きだった?」と聞かれた。


「うーん、ママは好きでも嫌いでもなかったかな」と答えると、「わたしはあまり好きじゃない」と娘。

まあ、そうだろうとはわかっていたので、「どうして好きじゃないの?」と聞くと、娘が一言。


「並びが横だから」。


「つまんないから」とか「退屈だから」とか「勉強なんて嫌い」とか、そんな回答がくるかと思っていた私は、思わぬ回答に「おお、そうきたか!」とびっくり。

その心は、「だって、先生が勝手に話を進めるだけじゃん。それが、ただ横に並んでいるだけみたいだから」。


なるほど〜。わが娘ながら、「並びが横だ」とは、すごい表現力だとちょっと感心。(物書きとしては、ジェラシーを感じるほど)

要は、ただ決められたことを受動的に聞いて、言われるがままに一律で取り組まなきゃいけない、というのが苦痛なのだろう。
(この反骨精神だとか、ロック魂的なのは、夫の血かしら)


さらに「大学なら先生になりたい人は先生の勉強するし、音楽の勉強したい人は音楽の勉強するんでしょ? それならわかるけど、なんで興味のないことをみんなが同じように勉強しなきゃいけないの?」と娘。


たしかに、何か一つの道を極めるにも基礎学力はあって困ることはないし、全体や枝葉を知るのは大事だ。そのための義務教育という一面があるのは大人になればわかる。専門家が考えたことだから、一見無駄そうなカリキュラムにも理由はあるのだろう。

けれど、いろいろな知識を「決まったカリキュラムだから」と一律に詰め込む必要ってあるんだろうか、とふと思う。
(たとえば、地図記号って今の時代、誰もが覚える必要ってある?)



学校ではどうしたって、先生の話を素直に聞けて、絵に描いたような模範回答ができる子は「いい子」で、成績表にも反映される。そういう子は当然褒められやすいからかどんどん自信をつけていくし、「学校楽しい!好き!」と素直に答えられる子が多くなるのも肯ける。

一方で、受動的な授業を退屈に感じて、どうしても集中できなかったり、疑問を感じたりして、「成績」という意味では伸びない子たちもいる。成績として数値化されてしまううちに自信をなくしてしまい、さらにやる気がなくなる子もいるんじゃないかな。


でも長く生きてくると、それ(成績)だけが人の魅力や能力ではないとわかってくる。


思い返せば休校中、なかなか課題に取り組まない娘に、私は怒ってばっかりだった。
こないだなんて、何を熱心にやっていると思ったら、消しカスを一心不乱に集めて、集めた消しカスで練り消しを作って、その練り消しでサイコロを作って、できたサイコロを振って「6!」とか喜んでた。(はい、勉強中の話です)

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そんなことしてるから、気がつけばお昼。1時間目の漢字ドリルすら終わっていない状態だった。
「こんなの、ちゃっちゃとやっちゃえばいいじゃん! そしたら後でたくさん遊べるでしょ?」とつい感情的に怒ってしまったけれど、でも、考えたら私だってやる気が出ないことなんてザラで、おやつ食べながらじゃないと原稿書けないし、人のことなんて言えた義理じゃない。なのに、親なんてつくづく勝手なもんだわ。


この練り消しは、くる日もくる日も消しカスを集めて、こねてこねて1年ほどの年月をかけて少しずつ大きくし、ようやく1センチほどの大きさになったんだと、娘は誇らしげに話してくれた。名前は「練り消し大王」。この先、もっと大きく育てて「また消しゴムにして使う」んだとか。

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そうか、学校の宿題はできていなくても、成績はイマイチでも、娘は練り消しづくりで大切なことを学んでいたんだね(←ホントか!?)


横並びにやる必要なんてない。凸凹でいいし、その子のペースでいい。
相変わらず漢字は大の苦手だし、現実逃避癖あるし、いろいろ気になって集中できないし、しょっちゅうぼーっとしてどこか遠くの世界に飛んでいってしまう娘だけど、でもきっと大丈夫。もっとこの子を信じなきゃね。
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ついつい、親である私が「成績」という物差しで娘をみてしまっていたなと反省。
子どもの芽をつぶさないよう、学校の成績に一喜一憂することなく、親である私の意識から変えていこうと、娘が育てた「練り消し大王」を見て改めて感じたというお話でした。

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