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自信なんていらないんじゃないか説


デフォルトで自信がありません

カリフォルニアから今日は!木蔵(ぼくら)シャフェ君子です。
いきなりですが私はデフォルトで自信がありません。自信がないーーこれが通常モードです。
20代30代は「もっと自信を持ちたい、持たなきゃ」と思い、「自信が持てるような魅力的な自分になりたい」と思っていた私ですが、月日が経ってもその日は結局巡ってきませんでした。
でもそれよりもいいもの見つけたよ、ということについて今日はお伝えしたいと思います。
 20代30代は「自信」を追いかけ、自信のない自分を問題視していたのですが、最近はすっかり気にならなくなりました。開き直りか?そうかもしれません。(笑)
でもその理由は自信よりもずっとパワフルな、私にとって必要な身心の状態があることに気づいたからです。
私の経験では、その状態には2つあります。

自信よりもパワフルな身心の状態=フロー

1つめは高2のハンドボールの岡山県大会の試合中に経験したことです。
優勝候補と言われていた強豪チームとの対戦中、同点でお互い譲れない状況で16歳の私はディフェンスをしていました。
何がトリガーになったのかは未だにわからないのですが、急に集中力が高まり身体はリラックス、そして相手チームの動きがスローモーションのように見えて、相手の動きを簡単にブロックできてしまいます。そのまま力むことなく攻めて得点を決め、私たちのチームは県優勝を手に入れたのでした。
後で読んだチクセントミハイの『フロー』で知ったのですが、私はまさにフロー状態にあったのだと思います。
そして、その時の私には「自分」という感覚が抜け落ちていました。そこには、「私の力だ」「私がやっている」というエゴ的な意識はありません。
ただその場と一体となって、自分の意志とは思えない何かに動かされているようでした。決してオカルト的な状態ではなく、フローの特徴です。
これが、自信よりもパワフルな状態の1つ、「フロー状態」です。
どうやって再現するかが明確でなかったフロー、私も長年ハンドボールの試合での経験はまぐれだと思っていました。しかし、集中、リラックス、初心を取り戻せるマインドフルネスはフローを促しやすい実践法であるということがわかり*私自身も実感しています。
*参照リサーチはこちら:

人事を尽くして天命を待ったらなんとかなる

2つめは、心の奥深くにある「きっとなんとかなる。苦しみは成長の喜びに変容できる。」つまり「人事を尽くして天命を待つ」という信念です。
怖がりで小心者の私は、小さなことでも大きな不安にするスキル(?)が高いのですが、そんな私でも、「もうダメかも」という局面に何回か突き当たり、その度に長い目で見るとなんとかなっているのです。
単身カリフォルニアに渡ってこの先どうなるか不安で眠れなかった時、会社を立ち上げ日々長時間働いても収益が上がらなかった時、多くを引き受け過ぎて心身が壊れそうになった時、そのようなつまづきのたびに、不安で放り投げてしまいたくても、とても不器用でも自分なりにベストを尽くして、なんとかなってきたのです。
何度も何度もそういった積み重ねがあって、何十年もかかってやっとつい最近(遅い!)、心のどこか遠く深いところで「きっと大丈夫。これもまた変容のため」「人事を尽くして天命を待つ」とかすかに聞こえるようになりました。
まだまだ密やかで、私自身が整っていないと聞き取れないので、日々のマインドフルネスの実践が支えです。

自信は認知の歪み(あくまで私の場合ですが)

こんな私でも瞬間的には「私ってイケてる」と自信を感じる時もありました。しかし、今から振り返ると残念なことにそれってかなり恥ずかしい瞬間だったりします。
たとえば、主催したセミナーやイベントが満員御礼で盛り上がったり、ちょこっとTVや雑誌などメディアに出させていただいたり、人にアドバイスをして感謝されたり。「やっと自信が持てた。私ってすごいかも。」とその瞬間思うのですが、その感覚はあっという間に消えていきます。
しかも、その時の私の思考を振り返ると、明らかにおかしい。「私がやった」「私の力」みたいな、一瞬ですがエゴが膨らんだ全能感がそこにはあるのです。(ああ恥ずかしい。。。)
もちろん、それは事実を歪曲しています。イベントの成功、メディアに出ること、人に感謝されること、全て私の力だけではなく、タイミング、一緒に準備した仲間の能力と努力、受け取る側の理解力や優しさ、偶然、などなど、数限りない縁起の編み出したことがすべての現象を創り成しているのですから。
つまり、その時の私の自信は、全て「いい気になって認知が歪んでいる状態」から起きていたのです。
謙遜でもなんでもなく、いろいろな「自信に満ちた」思い出をたどると、ぜーーーんぶそうでした。
これって私だけなのだろうか。読んでくださっている皆さんはどうでしょうか?

自信を追い求めて行き着いたこと

今では、私にとって自信よりもフローの状態(集中・リラックス・目覚めている)と「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢のほうが、現実に向きあうにはずっとずっと頼りになり有効であると思っています。
どちらの状態も「私の力」「私がやった」というエゴはそこにはなく、どちらかというと「透明な自分」でいられるのです。
以前の私が目指していた自信を追いかけ続けていたら、私はあの一瞬の高揚感・全能感を求めて、エゴを増殖させるためのエサ(「私がやった」「私の力だ」という思い込み)を追い求めて今もさまよっていたでしょう。
とはいえまだまだSNSのいいねを欲しがったり、自分の功績が認められないと落ち込んだりすることもあるのですが、それよりも私を満たしてくれるものがあることを、今は知っています。
このような気づきが、初心で向き合う、心身をリラックスさせる、今に目覚めている、という日々のマインドフルネスの実践のモチベーションともなっているのです。
 
ということで、自信を追い求めてきたからこそ行き着いた、自信っていらないんじゃないか、それよりもより大切で有効な心の状態はあるよ、というお話しでした。
そしてもしお読みいただいているあなたが、自信がつくのを待って大切な何かを先延ばしにしているなら、ご参考にしていただければ幸いです。
今回もやっぱりマインドフルネス推しになってしまいましたね。(笑)

木蔵(ぼくら)シャフェ君子


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