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Marseille Ma Ville Adorée 愛しのマルセイユ 、そして、長者ヶ崎を想う

初めてマルセイユの海岸線を車で走り抜けたとき、ただただ圧倒された。もう20年も前のことだけれど、その時の印象は忘れない。

深い藍色とその広がりと、真っ白な波しぶきと…

その頃暮らしていたニースとは同じ地中海なのに、ニースからマントンはモチロン、モナコやイタリアにかけては、なんとなく同じ空気感だったのに、海の色もうねりも全く違う顔をしていた。

驚いた。

それなのに、ちょっと懐かしい感じ。どうして?あぁ、Corniche海岸線の湾曲具合と、おもむろにどーんと広がる水平線の感じが、長者ヶ崎みたいだからだ。それは、今でも時々感じて、タイムスリップしたみたいで愉しくなる。東京からは片道2時間はかかったけれど、湘南はよく往復していた。

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南仏マルシェは祖母にくっついて行っていた神戸の市場の空気感…だから、すーっと馴染めているのかも。

それから数年後にこの街で暮らすことになって、あちこちで懐かしさを覚える風景に出会ってきた。マルシェに行けば、神戸の祖母との二宮市場の思い出と重なって、言葉こそ違えど、同じように挨拶や天気の会話を交わすうちに、すっかり居心地がよくなった。

マルセイユなまりで話すと距離感が縮まるシーン(がある)では、あえて、aやeの発音をそうしている(のはパリからの転勤族申し送り事項)。

そう、これは、パリにも住んでいたことのある地元出身の女友達からのアドバイスで、馴染むのに実に効果的。オンでは標準語に、オフではマルセイユスタイルに…と使い分けしている人は、そう言われてみると、案外目立つ。発音だけでなく、どの国でもあるように、土地によって同じ感情表現でも、言葉が違ったりする。特に感嘆詞、そして、形容詞。

実は南仏出身者ばかりでもないマルセイユ…フランス第2の都市ならでは。

もちろん代々続く一族もいっぱいいるし、よく言われているように、移民ばかりというわけでもない。そして、パリ嫌いなわけでもない(すごく好きだったり、どうでもよかったり)。サッカーの試合の日を除いては、意識することなく暮らしている人がほとんど。時々、あえてどちらがいいかとジャッジしているのを見かけるけれど、日本語でしかない(って気づいてました?)

さまざまな出身、それぞれ異なる外見だから、第一印象で、外国人かどうかもわからない。
国籍は日本のままだけれど、姓は夫のものだけを使っているのは、特に思うところあってそうしたわけではないけれど、気付いてみたら、国籍でのステレオタイプの先入観を持たれない(ので私は気に入っている状況)。

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子どもの出生地が南米なので、南米の日系人と思われたこともある。

「ここに来て何年?」に答えると、「なんだ、(自分より)長いね。“立派な”マルセイエーズじゃない」と軽口が飛んでくる。

だから、初めてのひとと交わす「出身はどこ?」には「マルセイユ。もともとは東京だし、一生そのままのつもりだっだはずなんだけど」

「じゃあ、どうしてここにいるの?」「それは話すと長くなるから、今度、アペロでもしながらゆっくりと…」

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