見出し画像

アフリカ歴30年の私がタンザニアで警察に銃で襲撃されても成し遂げたいこと

事務所で寝泊まりをしていたある朝、家のほうに銃を持った警察官が訪れ、私の不在を知り事務所に向かっている、と連絡がきた。

連絡から間もなく、外からなにか金属を殴りつけるような騒音が聞こえ、背中に冷や汗を感じながら監視カメラを確認した。

そこには数名の男たちがカメラには気も留めず、一心不乱に鉈のようなもので事務所の鉄扉をこじあげようとしている。何重にも構えた鉄格子をひとつずつ無理矢理に壊し、何十分とかけて部屋から出ることができずにいた私の部屋の前に辿り着いた。

ドアを開けたら警察官に銃を突き付けられた。それは脅しではなくいまにも発砲するのではないかと感じるほどに、大声をあげながら力強く血走った目で私を睨みつけていた。

なぜこんなことになってしまったのか?そんな疑問が冷静に考えられるようになったのは、警察署に連行されしばらくしてからのことだった。
 


今回noteを書くきっかけにもなった、毎日新聞さんの取材にて詳細がまとめられているので、是非先に記事を読んでもらえると嬉しい。
有料記事だが、1か月無料キャンペーン中とのことなので、是非登録して読んでほしいです。

 

私は、両親の仕事の都合で西アフリカのコートジボワールで産まれ、西アフリカ圏を転々としながら、中学生までの約15年を過ごした。

当時の記憶は鮮明に覚えていて、今でも仲の良い友達がたくさんいる。
当時の西アフリカ圏は日本人も少なく、治安も不安定で、危機管理能力は普通の日本人とは異なるレベルで幼少期に身につけたと思う。
それでも、現地の生活に混じりながら過ごした日々はいい思い出として残っていて、いつでも帰りたいと思える大切な故郷だ。

アフリカの水を飲んだものはアフリカに帰る、などと言われているがまさにその通り、大学を卒業後、在学中から行っていた中古車販売を皮切りに様々なビジネスにチャレンジし、現在はタンザニアを拠点にコンサル業を主に行っている。
 

西アフリカではもっと身の危険を感じる体験にも遭遇をしたし、それに対する慣れや対処にも自負がある。

現在タンザニアで、こうして問題を抱えた状態が長期化しながらも正攻法で戦えている時点で、言葉を選ばず直球に言うと、生きて生活をできている時点で、タンザニアはある意味平和だとも思っている。

しかし、そういう国だからこそ、心にかかるショックやストレスも大きく、深く複雑に心に突き刺さり、様々な感情に蝕まれている。


私は、IDOM社がアフリカ進出を検討している時期からコンサルとして関わっていて、FMG社が立ち上がるタイミングで内部の一員となった。
この度の騒動のカウンターパートであるMalmo社は、私がタンザニアに来た頃、10年以上前からの付き合いがあり最も信用している人間のひとりであった。
助けてもらった経験も助けた経験もたくさんある。今回の案件においても、問題が露呈する以前は頼もしさを感じる出来事が何度かあったのも事実である。
 
今回の件は、自身を反省する点ばかりで、落ち度も苦しいほどに痛感している。
しかし、信頼関係を重んじながらローカルに合わせたやり方を尊重してしまったこと、それはある種カウンターパートの理性を崩壊させてしまう”機会”を与えてしまったことに起因していると考えていて、そこには罪悪感のような感情もある。
聞いたところによると、預かっていたお金を鉱山の投資に回していて、それがうまくいかなく、ショートしてしまったことが彼の歯車を狂わせたという。アフリカにいれば、よく聞く話ではあるのだが・・・


ビジネスの世界においてははっきりと、先方に非があると信じて疑わないが、日本から所謂”途上国”に投資を行う場合、隙すらも見せないことが自身のリスクヘッジだけではなく、両者のためになるのかもしれない。
相手方の自己責任であるとはいえ、"犯罪者"を生み出すきっかけの一端になっている時点で、果たして自身の活動は余計なものではなかったのか、そんな葛藤も生まれている。
 

ここ1,2年は生きた心地がしない日々が続いている。急遽、今日は家に帰らないほうがいいと連絡を貰い、その日から1週間ほど外泊を転々としたこともあるし、ボディーガードを雇ったこともある。
ある時は現地の慣習に倣い、数100km離れた地方の有名な占い師の方に会いに行ったこともある。恐ろしいことに、その方にはズバズバと現状を当てられたうえにその時の予言もその通りになっていて、、なんて話もあるのだがそれはいつか別の機会に。


とにかく今もなお、警察、税務署、弁護士その他諸々、朝から夜まで打ち合わせをするなんて毎日が続いている。

それでもなぜ、私が諦めずに続けられているのか、これを読んでくださっている皆様にお伝えしたい。



まず一つ目は、我々の顧客であるドライバーの信用と期待を預かっていること。

私は自慢ではないが、顧客である200名超のドライバーのすべての顔と名前が一致している。もちろん会話のメインは支払いや契約に関することだが、家族がどうだ、彼女がどうだ、なんて話もするし、個別に応援やお祈りのメッセージを送って励ましたりしてくれるのだ。
話すのが大好きなタンザニア人に仕事時間を奪われることも多々あるのは困りものだが、私はそんな時間が嫌いじゃない。

少しだけ話が逸れるが、このビジネスを通して多くのタンザニアドライバーがどういうライフサイクルを送って2~3年という年月が流れ、どんな経済的・社会的課題にぶつかり、またそれを乗り越えられるかできないかといったこともわかるようになった。

我々が信頼するしない以前に、周囲から信頼を得ている人は普段から人助けをし、それが自分のピンチには必ず還ってくるものなのである。

だから、この国の信用・信頼はコミュニケーションで測れるところが大きい。泥臭く理論的ではないが、この理解と体感はこの先必須な経験だと強く感じている。

Arusha地方で9台の運用をしているビジネスパートナー

話が脱線してしまったので、本筋へ。

二つ目は、ドライバーだけでなく、たくさんのタンザニア人が、一国民としてこの事件を絶対に許せないと本気で動いてくれていることが、私を奮い立たせ続けている。

「こんなことがまかり通ったらもう誰も投資したくなくなるよな。」
「この先日本から人こなくなっちゃうよな。」

そう言われると、私も私たちだけの問題じゃない、必ず解決する前例を作る必要がある、そんな気持ちになる。

人が人を呼び、詳細は割愛するが、政府関係者や影響力のある方、とにかく今までお会いできなかった立場の方々と会う機会に恵まれ、この国の発展を本気で考えている人がたくさんいることを知った。

私にできること、いや、しなくてはならないことはこの問題をタンザニア人と共に解決をし、そして今後ビジネスを継続、発展させていくことなのだと思う。


我々のビジネススキーム、車両の分割払いはシンプルだが市場では斬新で、なによりも大変である。担保という担保もなければ、顧客の特定の事情も考慮しない場合、誰もが達成の難しいスキームに陥ってしまう。

だからこそ、対話を重ね、問題になることもありながらも、何十名もの達成者を出し、”1台の車のオーナーになる” それだけのことだが、彼・彼女の人生に大きく影響を与えている。

人によっては彼ら彼女らが手にする初めての資産ともいえるもの。
それは、担保にもなるし、人に貸すことで安定収入にもなる、日銭を稼ぐしか手段がなかった人たちにとって変革の大きな一歩目になっている。

1台目を完済し、それを担保にAlphardを購入したお客さん


私の経験から、アフリカの発展に必要なのは、投資をする勇気だと思っている。

自分の事業を持ちたい、こんなビジネスを仕掛けたい、そんな想いを持っていてもそれを実現するツールがない。そこに投資をするというのは意義深くチャンスとも呼べる一方、可視化の難しいリスクが散在することが大きな防波堤となっている。
しかし、それでは現地の産業が伸びず、また貧困のサイクルからの脱却が困難である。

私はこのスキーム、事業を通してたくさんの人にそんな機会を与えれるよう、会社を成長させていきたい。こんな状況下だが、扱いたい商品もたくさんあるし、実装したいスキームも山ほどある。

それを日本人として成し遂げることにプライドと夢を抱いている。

もともと庭師や門番だった人も今では車のメカニック


昨年一児の母となったこともあり、全部を投げ捨ててどこかへ逃げ出したいと思ったことは数回ではない。

だけど、20名超の社員のため、200名のドライバーのため、そして自分自身のためにも必ず、思い描く景色をこの目で見るまで、現場の第一線で走り続けたい。
これだけのことがあってもなお前向きな気持ちも忘れずにいさせてくれるから、タンザニアという国、アフリカが私は大好きなんだろうな。

私が幼少期にみた以上に、眩しくて、自分の足で帰ってきたく思えるような景色を息子に見せられたら、それがなにより私らしい母の背中なんじゃないかな、なんて思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?