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勉強が嫌いでも、やりたいことがなくても大学に行け

今日は中国とは全く関係ない話です。

私は教員の端くれですが、学生時代は勉強がすごく得意だったわけではありません。

特に高校時代は勉強が難しくなり、いろいろなことがしんどくなりました。

 さらに、運動ができないくせに、体力をつけるためにわざと運動部に入りました。

当然、部活のなかではみんなの足を引っ張る存在になってしまったと思います。

得意ではない運動部で体力を消耗すると、授業についていけなくなって成績も落ちます。

勉強が面白くないと、先生も嫌いになります。
質問してもわからない、という状態になります。

そして、最悪なことに最後は質問する気力をなくします。

 部活でもダメ、勉強でもダメ、先生も嫌い。
 心を許せる友達もできませんでした。

 性格がねじ曲がって、変なプライドだけが残りました。

 進学校でしたが、大学見学に行っても大学に行く意味を見いだすことができませんでした。

学校の先生たちは、地元の国立大学に行けと勧めてきます。

地元の大学を出て、地元で働いて、地元で結婚して子どもを産むのがあなたたちの幸せだとも言われました。

または、この高校のブランド名で就職した方が(無名の大学に行くよりは)いいところに行けるよ、とも言われました。

なぜ、それが幸せなのか私にはわかりませんでした。

 なぜ、大学に行くのか?
 高卒でもいいところに就職するのが幸せなのか?

だんだん勉強する気も失せました。

ある時、突然数学の小テストをやっていてさっぱりわからず、「もう、いいや」と白紙のまま答案用紙を出してしまったことがありました。

もうどうでもよくなってしまいました。

部活を引退すると、ようやく引退できたと安堵して、一年終えてしまいました。燃え尽き症候群というヤツです。

結局一年浪人しました。

浪人するとき、世界史を教えていた先生に浪人する旨を報告すると、

「伸びないから」

と言われました。

先生なのに、そんなこと言うんだとショックを受けました。

しかし、その世界史の先生の言ったことは嘘でした。

私が行った予備校には、教えるのが上手いことで有名な現代文の先生がいました。

その先生の影響で、私はもう一度勉強する気になれました。

落ちこぼれていた私たち浪人生を鼓舞し、一生懸命努力する勇気を与えてくれたのです。

さらに、いままでなんとなく勉強していた内容には全て論理があり、論理的に考えて勉強する大切さを教えてくれました。

その先生のお陰で、国語の成績をはじめとして成績が一気に上がりました。

産まれて初めて、私は勉強することに感動を覚えました。もっと早くこの先生に出会っていれば、もっと成績が伸びたんじゃないかと思いました。

この先生の影響で国語の教員を目指すことになったのは言うまでもありません。

努力の甲斐あって、一年後に東京の大学に合格しました。

東京に上京し、独り暮らしをしながら大学へ通った4年間はとても貴重な時間だったと思います。

楽しかったことばかりではありませんでしたが、自分の将来のための土壌を作ってくれました。

たまに、やりたいことがないからとか、勉強が嫌だからとかという理由で高卒で働いたという話を聞きますが、個人的にはもったいないなあと思います。

やりたいことがないから、勉強が嫌いだから、大学に行ってやりたいことを見つけたり、興味があることを学んだりするというのもありだと思うのです。

とりあえず、自分が興味が持てる分野の学部に行ってとことん極めてみると見えてくるものがあるのではないかと思うのです。

そしてさらに、素敵な友人たちと出会うこともできます。

 私の場合、地元に閉じ籠ったり、就職したりしたら絶対にない出会いがありました。
 その出会いを通して知り合った人は、今でも自分の良きライバルでもあり目標でもあります。くじけそうなときは、その人のことを思い出します。

 同じ職業に就かなくても、好きなことを一緒に学んだ友達というのはやはりどこか気が合うものですし、自分のメンタルを支えてくれるものになってくれると思います。

高卒で就職は悪くはないけれど、大学に進学させてもらえる余裕があるなら、積極的に行ったらいい。

 そして、行くなら大学でしか出来ない学びと、出会いを思いっきり楽しんで、社会に出たらいいと思います。

 大学のランクはあまり気にしない。でも、なんとなく受かったところではなく、自分が最大限頑張って受かったところや納得できるところに行くべきです。

 その方が後悔しないですし、楽しく過ごせます。

 大学で培った経験は、高校までの経験とは全く違うものです。

 大学時代に豊かに耕された心や考えをもった人のことを、企業や社会にいる大人たちは興味をもってくれるはずです。

学ぶことは、幸せへの一歩だと思います。

学ぶ楽しさを伝えたくて、辛いことがあっても私は毎日教壇に立ちます。


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