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来世と、女の話

twitterにつぶやいて、これはテキストにしようと思った思い出話。

24歳だった。

12月31日、国道2号線に面したチェーン居酒屋の前だ。かすかにほこりのような雪が舞う深夜3時。この日のために新調したメルトンのコートはまだ固くてずっしりと重く、さっきまでいた大勢の香水やお酒やたばこの匂いが染み付いていた。

私は立ちすくんで泣いていた。

数メートル先に停められた原付にまたがり、浅く腰掛けた彼が俯いてる。小さく折りたたまれた薄手のダウンジャケットを膝に広げ、細かくついてしまった皺を丁寧に伸ばしている。「これ、暖かいんだよ」「地元はここより寒いから」と他愛もない台詞にまともな相槌は打てなかった。話さなければいけないことをずっと先延ばしにしていた。

私が泣いていることにきっと気づいているのに、彼はこちらを見ない。長く伸びた細くてまっすぐな髪が、俯く彼の顔にかかってさらさらと揺れている。視界が涙で乱反射する中で彼を見ていた。もう少し短い方が似合うのになぁ。と、ふいに白髪が光った。

ああ、歳をとったんだな。

出会った頃は10代だった。彼自身も、彼の作る作品のことも、すべからく愛していた。若かりし私にとって、彼と恋に落ちたんだいうことだけが生きる希望だった。この人に出会うために生まれてきたんだと思えた。

でも、それがいけなかった。

別れを告げたのは私の方だった。鬱病を患い希死念慮に囚われた私にとって、彼の輝きは眩しすぎた。私と別れて誰かと幸せになってくれと懇願した。一緒に幸せになるという選択肢が当時の私には想像できなかった。でも、いつか私が死なずに大人になれたら。また結ばれる日がくるかもしれないと心のどこかで信じていた。

彼だけが生きる希望だった時期が確かにあったから、失いきれずにつかず離れずの距離で長いこと過ごした。どこか遠くに逃げたいな〜というともう少し待っててねと返ってきた。その言葉で救われて、私には彼しかいないように、彼にも私しかいないんだと。信じていた。

でも恋愛小説みたいなことはそうそう起きない。数年後、ふいに連絡は滞るようになった。当たり前だ、彼にとって私はとっくに過去の存在で、ずっと遠くで幸せを見つけていた。課題の制作に追われ化粧もせず荷物を抱えて歩いていたある日の晩、ふわふわと柔らかそうな服をきた小さな女と彼が仲良く歩いているのを見かけた。私の心がもう少し強ければ、隣にいたのは私だったのかもしれない。

問い詰める私に返ってきた返事は、恋人ができたことは私には言えなかった、僕だって昔に戻れたらと思う、でも先に別れを切り出したのは君だろ、と。そうだった。手放したのは私だ。

もう、お互いの人生がこれ以上交わることがないならなにも聞きたくないと連絡を絶ってから、2年と少しぶりに顔を合わせた夜だった。

まだ未練がましくついてくる惨めな女に引き留められ、しかも大晦日に、所在なさげに俯く彼は何を考えていたんだろう。申し訳なさと情けなさで頭が割れそうに痛い。帰りたい、でも帰ったらもう二度と会えない。

ぽつりぽつりと、彼が恋人の話をしてくれた。

今でも作品は作っていること、始めたばかりのあたらしい事業はその恋人が手伝ってくれていること、でも結婚したいから就職して安定しろと促されていること、よく怒らせてしまうこと。

僕はわがままだからね、と。

私を選べばいいのにと叫びたかった。

そんな女はやめて、あなたの全てを愛していて、たまにふてくされるけどにこやかに暮らし、よく働く女がここにいるよ、あなたの役に立つよ、なんでもするよ、私といると絶対楽しいよ。

お金なんていらない、あなたが楽しそうにしてたらそれでいいんだよ。ふたりで笑い合えてたらいいじゃない、私はもう元気になったから、これからも一緒に絵を描いて、一緒に映画を見て、一緒に、

言えなかった。

今、泣いてる私との間にある数メートルの距離も縮まらない。恋人を愛している彼が、私を選ぶことはない。なにも言えなかった。また、泣いた。

雪はやんで、空は白み始めていた。
風が冷たい。
コーヒーでも飲んで帰ろうか。

いつか誰かと手を繋いで同じ方向に進んでいけたらいいなと願って生きている。自分の幸せのために、相手に変化を強いることはしたくないと固く心に誓っている。そんな誰かと一緒にいたり、いなかったりして、もうすぐ32歳になる。

あの日「僕たちは友達にはなれないのかな」と聞かれたから「なれないよ」と答えた。そのまま、連絡先は聞かずに、来世で会おう、と言って改札を抜けた。その日、多分、いや絶対、一生でいちばん泣いた。

来世でもし出会えたら。私は元気な心で生まれて、また彼と恋をして、一緒に絵を描いて、一緒に映画を見て、たとえ喧嘩して別れることがあっても、良い親友になれるかもしれない。今世の私には叶わなかったそんな夢を、あるかわからない、来世の女に託した。

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