黒毛和牛上塩タン焼き680円
『野中さん、奥さんと離婚したみたいですよ』
中村さんは興味なさそうに私に教えてくれた。
「なんで?あんまり覚えてないけど子ども生まれたばっかりじゃなかったっけ?」
『もう1年くらい前じゃないですかね。生まれてます』
「不妊治療とかめっちゃしてなかった?あの人。嫁って元同僚でしょ?」
『してましたよ。野本さんずっと子どもできなくて悩んでましたし。そう。社内恋愛です』
「待望の一子なのに離婚て。不倫かなんか?」
『いや。多分いざ子どもできたら旦那いらないってなったんじゃないですかね?毎日飲んで朝帰りなわけだし』
「ああ。なるほど」
私は野中が嫌いだった。
彼は私が以前勤めていた会社の先輩社員なわけだが、実質一緒に仕事をしたのはわずか1年程度だ。
5個上の彼と初めて出会ったのは新入社員時代に別の先輩社員に飲みに連れていってもらった居酒屋で、そこに合流してきたのが野中だった。
「お前誰?面白いことできないなら帰っていいから」
そう私にかました野中は、以後私に何度も小ボケを要求し、渋々それに従うと「お前はつまらんのじゃ。まったくおもろない。どうなっとんのじゃ」と人気お笑い芸人千鳥に大きく影響された喋り方で私に絡んできた。
そもそもそういう出会いで印象があまりよくなかったなかで数年後、お互いがチーム長としてそれぞれチームを持ちながら彼と再会することになった。
私のチームに配属された新入社員は研修で教育を受けた野中に懐いていて、私のいないところで度々「野中さんのチームに入りたかった」と愚痴をもらしていた。
当時私は初めてチーム長になり、部下の教育もままならずに毎日四苦八苦していたこともあり、チームメイトたちは間違いなく私を頼りなく感じていた。
「お前は仕事のセンスがないな。チームの奴らがかわいそうだろ」
そう言って部下を自分の部下とともに飲みに連れていく野中に本当に私は苛立っていた。
『野中さん、聞いてください。松岡さんってすごい面白いんですよ』
そう言って私と野中の仲を取り持とうとしてくれたのが中村さんだった。
中村さんは私にも『一回くらい行きましょうよみんなで』と誘いをかけた。
「お前が来るなんて珍しいじゃん。普段誰と飲んでんの?」
「もっぱらガールズバーですね。少しでも仕事忘れたいんで」
「面白いこと言うじゃんお前。これからはもっと飲みにいこうな」
〇
『今度野中さんも誘って飲みにいきましょうよ』
中村さんは野中の離婚話を切り上げると、そう私を誘った。
「キミ、まだ野中さんと絡みあるの?」
『私が退職後もたまに飲んだりしてます』
「へー。二人で?」
『そうです』
二人で遊ぶのは俺だけじゃないのかよ・・・
嫉妬に近い憤りを露わにしたかったが、それをするとあまりにも大人気ないし惨めなのでやめておいた。
「あの人面白い?飲んでて。素面でも酔ってても話合わないから嫌なんだよ」
『まあ松岡さんとは合わないですよね。タイプ的に』
「ずっと千鳥に影響された話し方とかさ。もう40でしょ?痛いでしょ」
『やっぱりずっと嫌いなんですね。言ってましたもんね』
「キミも懐きすぎだろ。何が‟野中さん、恋ダンス踊れるんですよ”だよ」
『すごいことじゃないですか。なかなかいませんよ』
「誰も覚えようとしないんだよ40になったら恋ダンスなんて。何目的だよ。若い女の子にチヤホヤされたい以外に中年が恋ダンス覚える理由なんかないだろ」
『松岡さんだってモテたくてやたら女性モノのブランド覚えてるじゃないですか』
「俺はいいんだよ俺は」
〇
退職が決まり、私の送別会が開かれた場で、野中は痛烈に私に言い放った。
「お前を新入社員の頃見て、こいつは絶対辞めるなと思ったよ」
「逆にこいつは一生この会社で働くだろうな、なんて思える新入社員みたことあるんすか?」
「そういうところだよ。お前のそういう子供じみた皮肉屋気取りがみんな嫌がるんだよ」
「よかった。じゃあ嫌われ者人生もこの退職でリセットですね」
野中は半分キレていた。
彼には彼なりの熱さがあり、その熱が一切私に届かないことへの苛立ちなのだろう。
結局彼は送別会中、私と相容れることはなかった。
挨拶もせず無言で彼は会場を後にした。
『松岡さんが悪いですよこれはさすがに』
中村さんは私を強く怒り、『二次会は野中さんのほう行きますんで』と告げ、彼の後をおった。
「どうだっていいよ。もう明日からは何もかもが関係ないんだから」
『はいはい。良かったですね』
中村さんはあの時呆れていた。
〇
『もしかしてですけど、私が野中さんと飲みにいくの、嫌です?』
「いやいや、まあ」
『なんで?』
「いや俺は野中と仲の良い奴は全員嫌いなんだよ。野中が嫌いだから」
『やめたほうがいいです?野中さんと会うの?』
「いやまあ。でもどっちでもいいよ」
『松岡さんがやめろって言ったらもう会いませんよ私』
「いやそれ俺に関係ないから」
半分私は怒鳴っていた。
もう多分私は彼女のことが好きだ。
そして野中嫌いには紛れもなく嫉妬も詰まっている。
『まあもう二人っきりでは会いませんよ。口説いてくるし』
そりゃそうだろ、と私は思った。
彼が他人に優しくする意味なんか、それ以外ないだろ、とも思った。
「高い金払って不妊治療して子供がやっとできたら嫁にお払い箱。で酒飲んで昔の同僚口説いて。クソダサい人生だな。ざまあみろだ」
『ダサさは松岡さんも同じようなもんですよ』
中村さんは呆れながら言い放った。
そんなことわかってるよ!と声に出したかったが、意味がないのでやめた。
「あいつよりマシだよ」
そう代わりに放った言葉を、もう中村さんは聞いていなかった。
何年たっても私は野中が嫌いだ。
めちゃくちゃ嫌いというわけではないが、なんとなくずっと嫌いだ。
嫉妬はある。同族嫌悪に近い感情もある。
説明できないような、複雑な思いもある。
だがとにかく、一番の理由は自分ではハッキリわかっている。
私は千鳥のマネをしながらグイグイくるバカが、一番嫌いなのだ。
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