内輪ネタとは

私は内輪ネタというものが嫌いだ。
なぜかというと、内輪ネタはその内輪でしか通用しないから、いわば勝てる試合にだけ出る選手のようなものだからだ。
しかし、内輪というものはなんだろうか。ただのグループなのだろうか。そのグループにはどんな共通点があるのか。
単純に考えてみれば、普段仲良くしている人たちになる。しかしそれだけでは、たとえば映画をみんなで見ても笑えないだろう。
その人たちが英語で会話していて、1人だけがドイツ語も話せて、映画がドイツ語の映画だった場合、もちろん笑えるのは1人だ。
そう考えると内輪というのは文化などの抽象的なものでもあるようだ。ならばなにもかも内輪ネタかもしれない。その点で気になるのは、どちらが先立つのかということ。
つまり、内輪だからそのネタを面白いと思うのか、そのネタを面白いと思うから内輪なのか…………ということである。
これは前者が正しい。
我々は日本語を話せる時点で、そのネタを見る前にもう日本語のネタの潜在的内輪なのである。
これは評価をつけられるもの、つまりこの世のすべてに対してそうなのである。

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