自分らしさか、自由か

 自分らしく生きることは不自由に生きることだし、自由に生きることは人間性を捨てること、ひいては"自分"という存在を捨てることだと思う。

 人間は生まれてきたとき、なにもしなくてもない。もちろん食って寝なければ死んでしまうからそういう必要はあるけれども、そういう生命としての当然の行為以外にはなにをする必要もない。実に自由な存在として始まる。

 次第に人間性を獲得する。洞穴に1人で暮らす人間が人間らしくないように、人間性とは他人との関わりで得るもの。知識、技術、人間関係、役割、それが人間性だ。生まれつき持っているのは親 - 子の紐帯だけ。

 しかし、人間性は自由を奪う。これを知れ、あれを身につけろ、誰かと関われ、役割をまっとうしろ、人間の社会ではそう押し付けられる。

 自由と人間性は、高いレベルでは両立しない。人間性に溢れるほど、つまり家庭を持って仕事に出てプライベートの時間を削り行動範囲を狭め暮らすほど、不自由になる。
 自由に溢れるほど、知識と技術に欠け、人間関係は狭く誰と遊びに行くことも家に招くこともなく、何の役割も持たずに誰を求めず誰にも求められない。人間らしくなくなる。
 前者は一般人、後者は引きこもりや生活保護受給者だろう。

 人間が不自由な存在であることから、自由に生きようとすればそれ相応に人間性を捨てなければならないし、人間らしく生きようとすれば自由は捨てなくてはならない。 
 人間はいつも過去を偲ぶ。まだ人間性が薄く、動物に近く、自由だった過去の自分を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?