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情緒的に・・・創作論を再編

 現代ではなにをせずとも生きられる。
物質的に豊かになり、具体的には生活保護制度が作られた。そんな社会ではいかようにも自由に生きられる。たしかに、人助けは素晴らしい行いだが、それは拘束力を持たないというか、持ってはならない。聖人であることは強制された時点で矛盾してしまう。
 人間は利己的にしか生きられないし、聖人として生きることを強制されない。それでも利他は素晴らしく、利己的な人生の結果として他人は救われるべきだ。利己とは自己満足である。創作であれば、まず自分が満足しなければならないだろう。他者の満足は、評価と称賛はあとからついてくる。

 虹の黄昏は…………このお笑いコンビはその18年の活動全体を通してこの思想を実践していると思う。「よいしょ〜〜〜!!!」の掛け声で手持ちラッパを鳴らしながら登場するのは、ロン毛で裸ジャケットで裸足の、鼻メガネをかけたおじさん。それにオールバックサングラスの同じく裸ジャケット裸足おじさんが続く。いかにも色物といった感じ。
 その尖った芸風からテレビ出演はかなり少なく、著名な芸人ではないが、それでもアングラでの知名度は随一。『地下劇場の帝王』の名で知られる。彼らの芸風は、賞レースでの好成績や高い頻度でのテレビ出演という、芸人としての典型的な成功には繋がらなかった。それでもやめられはしなかった。なぜか。それは彼らのラジオ『虹の黄昏の超絶バイーンラジオ』のある回でツッコミ(?)の野澤ダイブ禁止さんの口から知ることができる(どの回かは忘れてしまった。申し訳ない)。
 その内容は以下の通りである。

「俺らのやってることってオナニーなんだよね。いずれセックスしてえなって思うよ」

 ただの下ネタではない。これは歴とした彼らの哲学だと私は思った。
 オナニーとは自分で自分を楽しませる自己満足である。セックスとは、相手とのやりとりの中で自分を楽しませ、お互いにそうすることで、お互いに楽しむ、相互満足である。
 人間はまず自己満足を求めて、オナニーをする。いずれ人と関わるようになっても、やはり自己満足を求める。しかし、そのときには知性と知識を持ち、社会性を作っている。そしてセックスに至る。
 芸人として今は自己満足の状態である。しかし、自己満足をやめてはただの奉仕になってしまうから、この自己満足は続ける(実際、18年間も続けた)。ただ、いずれは芸人として成長して、お客さんを笑わせたい。お互いに笑って、セックスにしたい。そういう思いがこの発言にはある。
 思想を持ち、思想を貫く、そんな思想家が虹の黄昏だと思う。すべての創作も、ひいては人生を一生かけて作る作業も、この思想に繋がると思う。

 私も虹の黄昏のように書き、生きたいものだ。






バイ〜〜〜ン!

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