見出し画像

『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』を読んだ話

18年間の会社勤めにピリオドを打って、フリーランスのコピーライターとして独立した2009年4月。今どきの人にはピンとこないだろうが、バカボンパパと同じ41歳の春のことだった。
2008年9月のリーマン・ブラザーズ・ホールディングス経営破綻に端を発する、いわゆるリーマンショックの真っ只中で、世の中は決して景気がいいとは言えない状況だった。

独立することについて妻と娘にはもちろん相談したものの、この歳になってわざわざ両親に報告する必要もないと思った。ところが妻に「それは常識として、一応伝えておくべきでしょう」と言われ、しぶしぶ実家に報告に行った。父からは反対こそされなかったものの、「おまえは気が狂ってるのか」と半ば呆れられたのを覚えている。

それから13年。
おかげさまで路頭に迷うことも食いっぱぐれることなく、どうにか無事に生き延びてくることができた。
しかし独立当初、気持ちの半分は「まあ、どうにかなるだろう」という楽観もあったが、残りの半分は「最悪は、数年後にホームレスとかもあり得るよな」と思っていた。

ろくすっぽ貯金もないし、仕事がぜんぜん入ってこなくなってしまえば、家のローンも払えなくなるし、当時中学2年生だった娘の進学や将来を考えれば、妻子まで巻き込むわけにはいかない。
もし万が一そんなことになったら、離婚して一人になって自己破産して、ホームレスになって、ビッグイシュー売ったりするのかな・・・なんて、暗澹とした未来を頭のどこかでぼんやりとイメージしていたように思う。

正直、いまでもそういう危機感は気持ちの中にある。昨年からのコロナ禍で世界は大きく変わってしまったし、これから先の未来がどうなっていくのか想像もつかない。
サラリーマンと違って、フリーランスというのは毎月必ず一定額の収入が見込めるというものではないし、年金受給額だってサラリーマンよりもベースが低い。
体力的にも能力的にも、いつまで今と同じペース、同じクオリティで仕事が続けられるかはわからないし、病気やケガで入院することになれば目も当てられない。
離れて暮らしている両親も今は元気だが、年齢的にいつ認知症になったり、介護が必要な状態になるかはわからない。そうなれば、生活のあらゆることが今まで通りにはいかなくなるだろう。

----------------------------------------------------------------

吉川ばんびさんの『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』(扶桑社)を読んで感じたのは、「ここにある彼らの人生は、自分の人生と紙一重」ということだ。

「んなわけねーだろ。家もある、車もある、家族もいる。仕事もあるし、今日明日の生活に困ってるわけでもない。あんたの人生は普通じゃん」
そう思う人もいると思う。
まあ、そう言われれば、ぼくもそう思う。
しかし、この本に登場する人たちの多くも、きっとそう思っていたのだ。

「自分の人生は、普通だ」と。

中には生まれ育った家庭環境が、すでに「普通」ではなかったケースもある。だが彼らの多くは、トランクルームで息を潜めて夜を明かしたり、母親の遺骨を抱えて軽自動車で暮らすような貧困とは無縁の、「普通の人生」を送っていたはずなのだ。

なぜ、そんな「普通の人生」から大きく道を踏み外してしまったのか。
きっかけや原因はさまざまだが、その大きなファクターのひとつは「孤独」ではないだろうか。

経済的にも精神的にも追い詰められた状況になれば、まともな思考力や判断力なんて働くはずもない。
でも、誰かに自分の置かれている状況を話すことができれば、少しは気持ちも落ち着くだろう。自分を客観的に見る冷静さを取り戻せば、人生が「普通」じゃなくなり始めていることに気づくことができるはずだ。

お金を貸してくれるとか、生活保護の申請を手伝ってくれるとか、そこまで具体的なことですらなくていいのだと思う、きっと。
軌道修正不能に近い貧困状態に陥ってしまうその前に、相談できる誰か。あるいは、そのままだと取り返しがつかないことになるよと言ってくれる誰か。自分のいま置かれている状況を話せる誰か。自分の話に耳を傾けてくれる誰か。
その誰かが一人もいない「孤独」こそが、人を貧困に追いやっているんじゃないだろうか。

もちろん、中には親身に話を聞くふりを装って、悪意を持って近づいてくる人間もいるかもしれない。でも、話を聞いてくれる人が周りにいれば、そういう人間を回避できる可能性も上がる。

孤独が、人を貧困に追いやる。

だとしたら、行政にできることがあるだろうか。
民生委員や児童委員がいるじゃないか、という声もあるかもしれないが、東京に限らず地域コミュニティなどが形骸化している都市部では、現在ではまともに機能しているとも思えない。
ましてや民生委員・児童委員は非常勤の地方公務員でありながら無報酬、ボランティア。ボランティアと言えば聞こえはいいが、行政による善意の搾取だ。ご自身は定年退職して悠々自適、そんな面倒見のいいシニアが地域の世話役として機能していたような時代はもう終わった。

ならば自分には、何ができるのか。

まずは、自分自身が「孤独にならない生き方」を模索すること。
そこから始めるしかないような気がする。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?