見出し画像

人生を3等分したらギターを習い始めることになった話

その昔、就職した会社の最初の上司がこんな話をしてくれました。

「1日は24時間。
 8時間は睡眠、8時間は仕事。
 残りの8時間をどう過ごすかで、人生が決まる」

まあ、この歳になってみるとどうということもない話なんだけど、その時のぼくは「そ、そっか・・・24時間って8時間で3等分できるんだな」と、とても新鮮な驚きを感じたんですよね。そんなあたりまえのことに驚けるとは、おめでたいバカさ加減です。

数か月前にふとこの話を思い出してぼんやりと考えていたら、自分の人生も3等分できるよな、と思ったのです。

ぼくは、80歳まで現役で仕事するぞ、と公言しています。フリーランスのコピーライターとして、その歳で仕事があるのかどうかはわからないけれど、今以上にあらゆる分野、あらゆる物事で多様化・細分化が進めば、70代のコピーライターにしか書けないテキストのニーズもあるかもしれません。
とにかく、大病やケガをせず80歳まで現役で働いて、そこから先はコロッとあっちに行きたい。それがぼくの理想です。

というわけで、80年の人生を3等分してみます。

まず、0~5歳は「無いモノ」とします。
3等分と言っておきながら、いきなりのルール違反。千鳥のノブと大悟からダブルで「ちょっと待てぃ!」と突っ込まれること必至。
でもさ、生まれてから5歳までなんて、わけも分からず泣きわめいたりおしっこを漏らしたりしているうちに過ぎてしまうし、そもそも当時の記憶もほとんどないですよね。なので、0~5歳は「無いモノ」とします。

というわけで、最初のステージは6~30歳の25年間。
人生の中で肉体が最も若々しく、そして成長と変化に満ちた時期です。
振り返ってみれば、学校生活を通して多くの出会いもあり、54歳になった現在の自分の土台となっているのは、まさにこの時期だと感じます。会社勤めを辞めて独立してからのこの10数年間、一緒に仕事をしている相方も高校時代に出会った友人ですしね。
最初に就職した会社で働いていたのも、そこで出会った今の妻と結婚したのも、娘が生まれたのも、全部この第1ステージです。

第2ステージは、31歳から55歳の25年間。
転職先の会社で丸10年働き、仕事の厳しさや難しさを痛感したのもこの時期。逆に、仕事のおもしろさややりがいといったものが、ようやくわかり始めたのもこの時期だったと思います。
そして、今年がこの第2ステージラストの1年というわけ。
まあ振り返ってみれば、ちょっとどうかしてるくらいがむしゃらに働き、相当どうかしてるくらいしこたま酒を飲んだ25年間でした。それでも、これといった病気やケガをすることもなく、仕事にあぶれたり、家族や友人から見限られることもなく、無事に過ごすことができたのはありがたいことです。

来年からいよいよ人生の第3ステージに入ります。
往年の時代劇『大江戸捜査網』なら、例の「隠密同心 心得の条 我が命我が物と思わず 武門之儀 飽くまで陰にて・・・」の口上をバックに十文字小弥太や井坂十蔵たちが死地へと赴くシーンあたりでしょうか。ぼくのこれから先の25年間にも、目くるめくような冒険や、心ときめくドラマが待っているかもしれない・・・

と、そこでふと自問しました。それでいいのか、と。
仕事はまあ、このままやる。早期リタイアとかそんなつもりは毛頭ない。しかし、それだけでいいのだろうか。趣味とかなくていいのだろうか。
ぼくにとって仕事はもはや半分趣味みたいなものだし、会社勤めの頃のように苦痛を感じるものでもありません。しかし、当たり前だけど趣味ではない。仕事は、趣味ではないのです。

これといった趣味もなく友だちもいない世のお父さんたちが、定年退職後に家でゴロゴロして家族に煙たがられ疎まれる、という話はよく聞きます。そうか、だからリタイアしたお父さんたちは突然蕎麦を打ったりうどんを踏んだりするんだな・・・と。
とはいえ、ぼくは別に蕎麦打ちがしたいわけでもないし、古民家を自力でリノベして田舎暮らししたいわけでもない。健康のためにランニングを始めていつかは市民マラソンに出場するとか、山歩きだのアウトドアだのという柄でもありません。

趣味・・・自分の趣味って何だろう。
改めて考えてみました。
料理を作ることは好きですが、趣味ではないような気がします。麻雀も大好きですが、メンツを集めるのもここ数年はままなりません。読書も映画も音楽も好きだし、ゲームも相当好きだけど、「でもさ、おまえはそれを『趣味です!』と公言できるほどの情熱を注いでいるのか?」と微妙に自分の中のオタク的価値観が発動し、グーンと上がったハードルに顔面を強打してたじろいでしまう。
車は・・・まあギリギリ趣味、と言えるかもしれません。でも、カーボンニュートラルが叫ばれ、ガソリンエンジンの車がますます肩身が狭くなる今後、どれだけの選択肢が残されているでしょうか。おまけに高齢者による自動車事故が問題になっている昨今、早期の運転免許返納を迫られることは間違いないでしょう。

自分自身が意外にも無趣味であるということに愕然とするワタクシ。

とは言え、何か新しい趣味を見つけてイチから取り組むには、25年という時間、体力面、経済面、すべてにおいて割けるリソースは限られています。
それに、「趣味を見つける」って、なんだかおかしいよなあとも思うのです。なんかこう、不自然じゃないですか?

人生の第3ステージに、最後の情熱を傾けることができる趣味っていったい何なんだ・・・と、暗澹たる思いに打ちひしがれていたその時。

「そや、ギターがあるやん!」

天啓の如く脳裏に響き渡るE7(#9)。
いわゆるジミヘンコードってやつですね。ぼくが弾ける数少ないコードのひとつです。
ぼくは大学生の頃から遊び半分にギターを触ってきたけど、正直、「ギター弾けます」と言えるほどの腕はありません。速弾きはもちろんからっきしですし、コードもまったく覚えてないし、上手く押さえることもできません。パワーコードでごまかしてきたタイプです。
ぜんぜんまじめに練習もしないんだから上達するはずがないんです。なのに「ギター、もっと上手く弾けたらいいなあ」と口癖のように呟き、数年に一度は「よし、今回はちゃんと練習するぞ」と言ってギターを買うんです。そして、買ったらなんとなく満足して、結局やっぱり練習しない。本当にダメな人なんです、そういうところ。
でも、人生のラストステージを前に、「もしもギターが弾けたなら」はもう卒業しよう。そう誓いました。

思い立ったが吉日、さっそくネットで検索して見つけたマンツーマンのレッスンに通い始めました。偶然にも、「えええっ! こ、こんな先生にレッスンつけてもらっていいんですか?!」っていうぐらいすごい先生が近所にいらっしゃって、しかもびっくりするほど破格のレッスン料金。これはもう運命です。運命が「ギターを弾け」と言っている。

この先10年経っても20年経っても、たいして上手くなってはいないかもしれません。それでもきっと、自分の傍らにギターがある人生の第3ステージは、なんだか楽しくなるような気がします。

「1日は24時間。
 8時間は睡眠、8時間は仕事。
 残りの8時間をどう過ごすかで、人生が決まる」

そう話してくれた最初の上司は、30年以上も経ってぼくがこんなことを考えたと知ったら「相変わらずアホやな、きみは」と言って笑うだろうなあ。

Kさん、お元気にされていますか。ぼくは元気にやってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?