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退職しました-就活と退職とこれから①

2023年ももうすぐ終わりますね。今年はどんな年だったでしょうか。
2024年はどんな年になるのでしょう。

タイトルの通り、退職しました。
およそ3年ほど勤めましたね、と書きながらも「およそで括りたくはないよな」という気持ちもあります。自分なりに精一杯働いたし、「やろう!」と思ったことはやったし、一応ある程度の達成はできました。

自分自身のために整理しておきたいという気持ちから書き始めましたが、もしも読んだ方にとって意味のある時間になりましたら幸いです。


居酒屋でだいたい10年働いた果て

接客業はもう嫌だ

遡って2019年春。私はその時点で10年近く居酒屋のフロアスタッフとして働いていました。個人経営のお店で正社員はおらず、私を含めて従業員は全員アルバイトです。
席数も少なく小規模の居酒屋だったのでお客様との距離が近く、店長はもちろんその日入っている従業員と話したいから来ると言えそうな常連客も少なくはありませんでした。
厨房が見えるところにカウンター席もあり、従業員とのコミュニーケーションが前提とされている、まぁ町の居酒屋さんです。

そのお店で働きながら、2016年頃からの私は

「もう誰とも関わり合いたくない」

という思いでいっぱいでした。
もちろんずっとそう思って働いていたわけではありません。楽しかったことも嬉しかったこともたくさんありましたし、私なりに学ぶことも多かったです。

ただ、働き始めたときは20代だった私も気がつけばもうすぐ30歳。
年配の男性客からは「なんだ、今日は若い女の子じゃないのか」という顔をされ(たまに面と向かって言われ)、私は全く楽しくないのに笑う。

「いつ結婚するのか」という話を明日の天気について話すくらいのフットワークで振られ「結婚願望はないですね」と言うと「お前もまだ若いもんな!遊びたいよな」と言われる。

セクハラ・パワハラ・男尊女卑が当たり前の環境に「もう令和なのにな…」と冷めていく心を止めることができませんでした。もう何もかもどうでもいい。

「なぜこんな思いをしながら働かなければいけないのか」
「できるなら今日にだって辞めたい」

後半の数年間はそんな思いを抱きながら働いていました。

何もかもどうでもよくなっていた私は、プライベートでの酒量がどんどん増えて頻繁に記憶を失うようにもなりました。
家までは(どうやら)帰ってきているものの、昨晩の記憶が一切ない。床の上には飲みかけのミネラルウォーターが転がっており(もちろん買った覚えはありません)、昼過ぎまで二日酔い。
仕事は夜からなので、それまでにシャワーを浴びる。とりあえず菓子パンか何かを食べて煙草を吸って仕事に行く。
仕事が終わったらまた飲んで記憶がなくなって。。。
だいたい毎回そんな感じなのです。

そんな日々を送っていたある日、またとんでもなく酔っ払ってしまい、まっすぐ歩けずに転んで怪我をするなんてことまでやってしまい…
病院で看護師さんに治療をしていただきながら(本当に申し訳なかったです…)

「このままだと死んでしまうのではないか」

と思ったことを覚えています。この件を契機に生活を改善しようと試行錯誤をし、あるとき断捨離に目覚め、その結果として服装革命が起こったわけですが、それはまた別の話…
(ちなみに現在は第二次革命が起こっております!楽しい!)

↓の記事に書いた断捨離を始めたきっかけである「あること」とはこの怪我の件です。本当に本当にお恥ずかしい。。。

辞めたい。辞めたいけれど、辞めたら生活ができない。
でもここで働き続けていたらそのうちに私は…

ただ、プライベートの生活を改善するだけで全てが解決するわけではありません。
むしろ生活を改善したことによって「自分や他者の心身を大切にしたい」という思いが強くなり、尚更セクハラなんて許せなくなっていきました。
自分に向けられたものに対してもそうだし、他の従業員(その多くは大学生でした)に向けられたものに対しても「おかしいだろ」という怒りや憤り。

だめだ。このままでは頭がおかしくなってしまう。

そんな危機感を感じてはいましたが、仕事についてはまだ具体的な行動をとることができませんでした。

「そんなに辛いなら辞めるなり新しい職場を探すなりすればいいのに」って思いますよね。
当時を振り返ってみるに、穴だらけになっていた自尊心がやっと少しずつ回復してきたところだったので、まだそこまでの気力はなかったのだと思います。

たとえ話をします。

新しい何かを始めるためには心のエネルギーが必要です。
心のエネルギーは心に貯まっています。
心のエネルギーは上からエネルギーそのものを心に直接注いだり、あるいは心の中から湧いてきたりします。

感覚的には「何かを買う」のは注ぐ感じで、その結果心が元気になった結果「湧いてくる」感じです。

心のエネルギーは、それが必要になったときに必要な量を消費して活動を行います。枯渇すると活動ができなくなるので、貯められるときに貯めておきます。
こう書くとまるでお金みたいですね笑。

でも、心に穴が空いていたらどうなるでしょうか。

私の場合は前述の通り、自尊心が傷ついた結果、穴が空いていました。
自尊心に穴が空いていると、まるで穴の空いた袋に水を注いだときみたいに、せっかく注いだエネルギーがその穴から出ていってしまうのです。
そして空っぽになった心からはもう何も湧いてこないのです。

これじゃいつまで経っても貯まらない。部屋は綺麗になっていく一方で、仕事に関しては同じところをぐるぐる周っていました。

そんなある日、店長から「正社員になってほしい」と打診されたのです。

え?正社員?
こんなに辞めたいと思っているのに?

びっくりしたのと同時に覚悟が決まりました。

”「ここから逃げなきゃ!」という危機感”が私を就活へと駆り立てたと言えます。心に空いた穴はとりあえずガムテープで塞ぎました。

ガムテープが剥がれる前にとにかく動け!!

お見合いは自由意志、就活は生き抜く手段という認識

2019年夏。
ハローワークから紹介してもらった就活セミナーでは「就活は相性、お見合いみたいなものだから」と言われた私は

「結婚する・しないは選べるし、しなくても生きていけるけれど
働いてお金を稼がないと生きていけないんだから全然違うだろ」

とキレ散らかしていました。したくもない結婚のためにしたくもないお見合いに行って好きでもない相手に選んでもらうために頑張らないといけないのか…と。
お見合いの経験がないので偏見でしかないのですが(本当にね…)、「もう誰とも関わり合いたくない」と思っていたので。。。

今振り返ると「何もそこまで…」と思いますが笑、本当に追い詰められていたんですよね。後述しますが、本当にお金がなかったんですよ。
個人的な感覚としては、就活はセッションという意味で相性で、チューニングの問題でした。素の自分で向かい合うのではなく、あくまで「仕事中の自分」をより良くイメージしてもらえるよう相手に働きかけるということ。
これができるようになるまで面接で落ち続けました。

這ってでも掴み取った内定は営業職

忘れもしない2020年の3月。
春に就活を始めてから一件の内定も取ることができずに迎えた2020年。

「この面接に通ったからノースフェイスのこの服を買おう!」というように、随所随所で頓服薬を飲むみたいなお金の使い方をしていた結果、本当に貯金がなくなっていました。心に空いた穴からは再びエネルギーが漏れ出していました。

これ以上お金を使ったら来月の支払いができないけれど、
心の頓服薬がないともう何もできない、みたいな状況です。

さすがに「もうあとがない」と焦っていました。

その結果、業界も職種もこだわらなくなっていきました。朝に起きて夜に寝て、定期的な収入があればもうなんでもいい。

さらには「自分は就職できないのではないか」「ここもダメだったらどうしよう」という自意識すら手放してある意味無敵(?)になり

根拠のない謎の自信に満ちたモンスターと化した私は最終面接を通過、
3月から営業部所属の会社員として地元の中小企業で働くことになりました。

誰とも関わり合いたくないという思いは変わっていませんでしたが、客観的に見て接客の経験を活かして営業職に就くというルートは妥当だと言えるかもしれません。
店長には春の時点で正社員の話を断り、就活を始めたことを報告していたので(えらい)、出勤シフトをちょっとずらすだけで済みました。ただ、今になって考えてみると

正社員の誘いを断ると同時に就活開始→1年間かけて1件の内定を掴む
(この間も普通に出勤して教育係として新人研修をこなしながら勤務)

ってけっこうハードだったかもしれませんね。めちゃくちゃ居心地悪かったけれど、これくらい普通なのかな。どうでしょう、今でもわかりません。

コロナ禍でスタートした会社員生活

研修早々に会社が休業

中途入社してすぐにOJT形式で研修がスタート。知識ゼロ、経験ゼロの私はとにかく「クビにならないように」ということだけを考えて働いていました。

とにかくお金を貯められるような生活スタイルをつくることに集中する。
食事はオール自炊。マイボトルに白湯を入れて通勤する。

せめて数十万円くらいは貯まってからでないと何も動けないし、それまではとにかくクビにならないように頑張る。
一生ここで働くか、あるいはそもそも働けるかがわからないし、お金はあればあるほどいいのだから、今は無心でお金を貯めよう。

そんな思いを抱きながら「あいつやる気ないな」と思われないように必死に知識を詰め込んでいたのですが、新型コロナウイルスの流行によって会社が休業になってしまいました。

1ヶ月間の自宅待機。文字通り「休業」なのでパソコンも携帯電話も持ち帰ることなく「完全に休み」です。無給ではないと言われましたが、このときの私の頭の中にあったのは

「会社は倒産しないか」
「ちゃんと給与は振り込まれるのか」
「クビにならないか」

のみでした。怖くて怖くて仕方がなかったです。
給料日にマスクをして銀行に向かい(街を歩いている人が全然いなくて怖かった)、通帳記入をして無事に振り込まれていることがわかったときの安堵感たるや。膝から崩れ落ちそうでした。

あとから聞いたところによると、社員の中にはこの期間中に遊びに行ったり家でゲームをしたりして過ごした方もいたそうですが、私は上記のような精神状態でしたので笑、とても外に出るようなことはできず、家でnoteを書いたり音楽を聴いたりして過ごしていました。

今にして思えば新しい何かに打ち込める時間だったのですが、なにしろお金がなかったので…そもそも給料が振り込まれるかずっと不安だったし。もったいなかったといえばそうですが、過ぎたことなので仕方がないです。

最適解を誰も知らない、新しい営業部の新しい新規開拓

休業体制が明け、新人研修が終わった私は、少ししてから同期と一緒に新規開拓を任されることになりました。
なぜ何の経験もないド新人が新規開拓を?と思いましたが、既存のやり方に限界を感じていた経営陣は「何にも染まっていない新人なら新しい方法にどんどんチャレンジできる」と考えたらしく、とにかくこれまでに試したことのない方法を実施していくことになります。言い換えれば

誰もやったことが無い方法で新規開拓をする

困ったことが起きても誰にも相談できない

当たり前ですよね。先輩の誰もやったことがないことをやっているのですから。
もちろん商談化すれば相談できましたし、とても親身になってくださった先輩もいます。私に付き合って残業してくださったことも1回や2回ではありません。
本当に感謝しています。

ただ、そもそも商談化させるのが難しかったんですよね。

今までの飛び込みメインの新規開拓はご時世的に嫌がられてしまう。しかしながら対面しない新規開拓のノウハウが会社にはない。チャートといいますか、マニュアルみたいなものもないので、全部手探りです。合っているのか、間違っているのかが判断できない。
それでもポツポツと獲得できたアポを商談化し、そのうちのいくつかを受注することができました。luckyでした。こちらもまとめるなら

「何もわからないところから始めて、進めながら何とかしていく」ということ

当時はそう捉えられるほどの余裕は全くありませんでしたが、今振り返ると貴重な経験をさせていただけましたね。
ただ、何が起こっても全て自己責任で、取引先の役職者への謝罪に平社員である私ひとりで向かわないといけなかったりで(当然先方には「なんでお前だけなの?」みたいな反応をされます)、めちゃくちゃしんどかったですが笑。

このあと私は新設の部署と営業部とを兼務しながら働くことになるのですが、新設の部署なのでまたしてもノウハウがありません。上から下りてくる目標に対して自分たちで方法を考えて実施し、レビューして改善、再度実施して…みたいなサイクルが自然と生まれました(PDCAというらしいことはあとで知りました)。

ずっと「この方法は合っているのか」と同期と相談しながら進めていましたね。彼は元気にやっているのだろうか…まぁ近々会うけれど。

月給ってすごい、会社員ってすごい

そんな「よくわからんけどとにかく頑張るしかない」会社員生活も、「月給」という定期収入が確定しているから頑張れたのだと思います。

冒頭からくどくどと書いた通り、就職前の私はとにかくお金がなかったので、本当に余裕がない生活を送っておりました。
月によってばらつきがあるのですが、だいたい7〜10万円くらいの収入で生活していました。
来月の支払いと今月の出勤日数を計算して

「よし(病気とかにならなければ)、ギリ足りるな」

なんてことを毎月やっていました。
特に就活を始めてからは前述の事情で足りない月が出てきたので、1〜3月は持っている本とかCDとかを売って補填していました笑。

それがですよ。月給(当時の収入のほぼ倍額!)があるということは

普通に生活をしているだけで、普通に貯金ができる

ということなのです!!

月に7〜10万円の支払いが最大値の私が倍の収入を得たら自動的に貯金ができる計算になりますし、事実その通りになりました。
なるべく出費を抑えていたこともありますが、家にある何かを売らなくても赤字にはならないという安心感があり、「月給ってすごい」って思いましたね。

必然的に生活は安定し、相変わらず熟考はするものの、欲しいものも少しずつ買えるようになりました。
大好きな山服で春夏秋冬を過ごすことができるようになりましたし、時期を見て旅行にも行くことができました。初めてひとりで温泉宿に泊まった日は「会社員ってすごい」と思いましたね。

さて、しかしながらこの記事のタイトルは「退職しました」です。

これは事実なのです。現在の私はもう退職届を提出しているし、引き継ぎも終わっているのです。もうすぐ私は無職になります。

長くなりましたので、次回に続きます!

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