京の夏の旅、三井神社(賀茂御祖神社境内摂社)
京都市左京区の賀茂御祖神社、通称下鴨神社の本殿西にある三井神社は延喜式神名帳の「三井神社」であるとされている。
今回「京の夏の旅」の特別参拝では、賀茂御祖神社の東西本殿を鑑賞したのち「神さまの台所」である大炊殿を見学させていただくのだが、その途次に三井神社の前を通る。
三井神社は通常棟門の外より参拝することになるが、この時は門より内側にて参拝ができる。感謝、深謝。
三井神社は一間社流造り檜皮葺の本殿3棟が東西に肩を並べて建っている。
境内はそれほど広くはないので、間に拝殿はあっても神さまとの距離が近く感じる。
それはおそらく賀茂御祖神社の東西本殿がガラス越しの鑑賞だったため、三井神社のように同じ空間にいると一層そう思うのかもしれない。
三井神社本社の写真は撮っていない。撮影不可かどうか知らない。自然と、カメラをむけるのが憚られた。そうゆうこともあるさ。
三社の中央「中社」祭神は建角身命。
「東社」は建角身命の妻・伊賀古夜比売命。
「西社」は建角身命の娘・玉依姫命。
玉依姫命は賀茂別雷神社の御祭神・賀茂別雷大神の母である。
伊賀古夜比売命は丹波の国の神野からお越しになられたという。
…どこだろうか?
境内の西側にひとまわり小さな社が東向きに3社ならんでいる。
北から「諏訪社」ご祭神は建御名方神。
ついで「小社社」ご祭神は水分神。
そして「白鬚社」ご祭神は大伊乃伎命、別名猿田彦神。
古図にもあるらしいので、三井神と深いかかわりがあるのだろう。
三井神社は江戸時代前期の寛永六年の造替とされ、本社3棟・拝殿・棟門・東西廊下2棟、附指定で末社3棟が国の重要文化財に指定されている。
三井神社は『山城国風土記』逸文に「蓼倉里三身社」と記されている。「三身」は祭神3柱を意味し、三井社といまは云うとある。
冒頭に書いたが、延喜式神名帳の「三井神社」ともいわれている。『山城国風土記』逸文には賀茂御祖神社への言及がないため、創建は賀茂御祖神社よりも三井神社のほうが古いと考えられる。
とすると、三井神社に賀茂建角身命とその妻と娘が祀られているのに、塀を隔てた東側に同じく賀茂建角身命と娘が祀られる賀茂御祖神社があるのは、ちょっと不思議な感じがしないわけでもない。
詳しく学べばそうゆうことはありがちなことなのかもしれない。素人にはちょっと思いつかない。
そこで実は秦氏が関与して新たにつくられたのが下鴨神社なのではないかという説に、ちょっと心が惹かれる。この場合、当初の御祭神は秦系・大山咋神と賀茂系・玉依姫命の二柱の可能性がささやかれる。
一方で、もしそうだったとしたら、現在の賀茂の父娘にご祭神が変えられたのは何故かという疑問が残る。
まだまだ賀茂御祖神社の奥は深い。つづく。
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