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貴船神社 奥宮 ~かみほとけ巡拝記~

こんにちわ、桔梗之介です。
七月十一日、京都市左京区の貴船神社に行ってまいりました。貴船神社は水の神・高龗神〔タカオカミのカミ〕を祀り、全国の貴船神社・貴布禰神社の総本宮になります。

貴船神社の中心的なお社は貴船川沿いに下流から本社、結社、奥宮と三社あり、いちばん上流に位置する奥宮は貴船神社創建の地といわれます。
奥宮は現在の御本社から歩いても数分のところにあり、貴船神社をお参りするならば是非とも奥宮もお参りしたいところ。というわけで、御本社参拝ののち奥宮にも参りました。

貴船川、左手に奥宮への鳥居

貴船神社の御本社の周辺は川床などで知られる料理屋さんが建ち並んでいますが、奥宮あたりまでくると民家はありません。平安の頃であれば深山幽谷といった趣でしょうか。奥宮のご祭神は御本社と同じ高龗神。

参拝時の時刻は午前八時。奥宮は広前がゆったり広く、境内は緑に包まれて静謐な空間です。ほぼ、独り占め状態。
ただ、奥宮のすぐ脇を車道が通り、境内に隣接して駐車場もあるようですから、時刻時期によっては静謐な空間とはいかないかもしれません。

貴船神社は水害で奥宮の地にあった社殿が被害を被ったため、天喜三年(1055)に現在の御本社の地に移築された。
こうして訪れてみると、貴船川沿いのわりと平坦な地にある奥宮は災害級の豪雨で川が氾濫すれば水につかってしまう可能性はある。一方の御本社は川沿いといっても高台に位置しており、貴船川の氾濫で被害を被ることはなさそうに思われる。

貴船神社 奥宮 神門
貴船神社 奥宮 手水
貴船神社 奥宮境内
貴船神社 社殿

奥宮の本殿下には巨大な龍穴〔りゅうけつ〕があるそうです。どのような龍穴なのか見ることはできませんが、奥宮の本殿の下にあるなら、この龍穴こそが貴船神社のルーツかもしれません。

文久年間(1861~1863)に社殿の修理が行われ、その際に大工があやまって龍穴にノミを落としてしまった。すると、一天にわかにかき曇り、突風が吹き、ノミを空中に吹き上げたそうです。

貴船神社の創建は古すぎて不詳ですが、貴船大神が太古の丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に貴船山中の鏡岩に降臨したという伝説があります。貴船大神と丑の関連性はわかりませんが、大いなるご利益を賜りたく丑の刻参りが始まり、良からぬ願いも中にはあったのでしょう。願いも呪いも似たようなものですからね。

貴船神社 奥宮 船形石
貴船神社 奥宮 境内
貴船神社 奥宮

また別の創建伝説もあります。第十八代反正天皇の時代に神武天皇の母の玉依姫命が黄色い船で大阪から淀川、賀茂川、貴船川と遡りこの地にいたり祠を建てたという伝承もある。この船を石で固めたのが奥宮本殿脇にある船形石と伝わり、黄色い船、黄船が貴船の由来なのだとか。

この伝承のうち、神武天皇の母であるとか、黄色い船であるとかいうのは疑問符がつくと思う。ただ、反正天皇の時代というのはあながち間違いでもないように思っている。
つまり、反正天皇の時代にある人々が川を遡ってこの地にたどりつき、立派な龍穴をみつけて神を祀るようになった。それほど反正天皇の時代に固執しませんが、ともかくそうゆう骨格はあったのだろうと妄想しています。

玉依姫命ならば貴船川の流れていく先に鎮座する賀茂別雷神社、通称上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷大神の母も玉依姫命と呼ばれる。しかし賀茂の玉依姫命は神武天皇の母ではない。

貴船神社は明治を迎えるまで上賀茂神社の摂社だった。そんなところが、貴船神社創建の伝説にも影響を及ぼしたのではないだろか。賀茂の玉依姫命の生んだのが上賀茂神社のご祭神で、建てた神社が貴船神社なら、賀茂と貴船は強力な関係神社で、賀茂が貴船を支配下においても問題がない。
神武天皇の母というのは玉依姫命の名による混同かと推察。

貴船の名の由来は「木生根」あるいは「木生嶺」からとも言われる。たくさんの樹木に覆われている様子をイメージさせる。奥宮の境内にいると黄色い船よりこちらのほうが信憑性が高く感じられる。

貴船神社 奥宮
貴船川

御祭神の高龗神は闇龗神〔クラオカミのカミ〕ともいわれるそうです。高龗神はの「高」は峰を意味し「闇」は谷を意味する。そして「龗」は龍神をあらわす。
貴船の川の石の間を流れるさまをみていると、水神龍神の面影が見えてきそう。桔梗之介にはそういった感性は乏しいのですが、貴船の雰囲気は愚鈍な者でも気分に浸らせてくれる。

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