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巡拝note

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神社仏閣巡りあるいは旅の記憶
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巾着と大根の待乳山聖天さま

浅草寺の北東、隅田川に近いところにある待乳山聖天へ久しぶりに行ってみると山門が完成していた。今年の夏に落慶法要が行われたようだ。 ひろく待乳山聖天と呼ばれるが正式には本龍院といい、浅草寺と同じ聖観音宗の寺院。ご本尊は十一面観世音菩薩と大聖歓喜天。この大聖歓喜天は、略して歓喜天あるいは聖天と呼ばれる。また本龍院は浅草名所七福神の毘沙門天を祀る。御朱印は本堂で。 日中であれば本堂へあがってお参りすることができる。ここは是非とも大根を購入してお参りしてください。山門をくぐると左

石の枕の姥ヶ池

むかし、浅茅ヶ原の一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊るした大石の下敷になって死ぬ。それを悲しんで悪業を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人はこれを姥ヶ池と呼んだ。 東京都の旧跡に指定されている姥ヶ池。かつては隅田川に通じる大池でしたが、明治24年に埋め立てられた。先の伝承は石碑の近くにある東京都教育委員会の案内版によるもの。 浅草寺の西、二天門から隅田川方向へ進んだ道の北側の公園の一角に姥ヶ池旧

侠客と役者の名が刻まれた被官稲荷神社~かみほとけ巡り~

浅草神社の本殿向かって右手奥に稲荷神社がある。被官稲荷神社という。本殿は一間社流造、杉皮葺。ちょっとした岩の上に鎮座する小さな社殿ですが、覆屋に覆われている。この覆屋は大正期の建築らしい。 社頭の案内版によると、 安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、伏見稲荷に祈願。その効果あり病気回復。そこで翌二年、伏見稲荷を勧請してここに神社を創建。名を被官稲荷神社とした。「被官」と名付けた理由は不詳だが、「出世」と解せばよいと記されている。 ただし、Wikip

浅草神社で久保田万太郎のいろはにほへと句碑

浅草の浅草寺本堂の東にある神社が浅草神社です。有名な三社祭はこの浅草神社のお祭です。 南に面した鳥居の先に社殿がある。かなり立派な狛犬が控えている。 春ともなれば桜の咲く境内で、桜の隣にこれまた立派な枝垂柳がある。 見渡せば柳桜をこきまぜて  都ぞ春の錦なりける 「古今集」の素性法師の和歌を思い出す。 さて、浅草神社で祀られているのは、 土師真中知命、 檜前浜成命、 檜前武成命の三柱。 浅草の観音さま創建にゆかりのある御三方。この御三方あっての浅草寺であり、ひいては

巡拝note:午前六時の金龍山浅草寺(東京都台東区)

けさ、台東区浅草二丁目にある金龍山浅草寺にお参りをしてきました。 聖観音宗総本山、ご本尊は聖観世音菩薩。 浅草寺は、かつては天台宗に属していましたが、昭和25年(1950)聖観音宗の本山となる。 午前六時すぎの浅草の観音さまは、地元の方の参詣が多いように思われますが、スマホやカメラ片手の観光客と思しき人の姿も少なくありません。 そんな時間から訪れる人が?と思われるかもしれませんが、意外と境内に人はいるものです。 午前六時には本堂が開かれ、朝のお勤めが始まり境内にお経の声が

香島天大神を巡る 鹿島神宮・坂戸神社・沼尾神社

今年の5月24日、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮を参拝。 そして、この日は鹿島神宮から「鹿島三社」を歩くことにしました。 一般に利根川下流域にある「東国三社」は比較的よく知られていると思う。 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市) 香取神宮(千葉県香取市) 息栖神社(茨城県神栖市) しかし今回たずねた「鹿島三社」は、鹿島神宮が入りますが「東国三社」とは別のものです。 「鹿島三社」香島の天の大神 奈良時代に編纂された『常陸国風土記』に「天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三処を合わせて、総

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武甕槌大神を祀る鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を参拝

鹿島野や檜原杉原常磐なる  君が栄は神のまにまに   藤原定家『拾遺愚草』 八月は仕事多忙と体調不良と暑さもあって散策らしいことをせずに過ぎた。 九月は、仕事も体調も天候も少しは穏やかになれそうかなと考えていますが、まずはこのnoteスタート以前の思い出がたりでお茶を濁しましょう。 令和五年(2023)5月24日、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮を参拝した。 鹿島神宮へ 鹿島神宮は、社伝によると神武天皇元年(紀元前660年)創建と伝える。 延喜式神名帳に「常陸国鹿島郡 鹿島

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糺の森と河合神社

京都の糺の森。近くに住んでいたら、おそらくしょっちゅう散策に来てるでしょうね。神の森ですから、いい思案が生まれそうな気もしますが、気のせいでしょう。 この日、少し雲行きがあやしくて、糺の森の北側にある下鴨神社をお参りしている間はまだ陽も出ていたのですが、参詣を終えて糺の森を南へ歩きはじめるとパラパラと降り出してきた。 しかし、この森が大きな傘となってくれているので、パラパラくらいの雨ならば折り畳みの傘を出すほどでもないと、そのまま歩いた。少し濡れても神の雫と、うそぶく間に

出雲井於神社(下鴨神社境内)

京都、賀茂御祖神社、通称下鴨神社の楼門の内側にある出雲井於神社。この界隈の地主の神のようです。延喜式にも載る古社。 東を向いて建つ左右、つまり南北に岩本社・橋本社の末社がある。住吉神の岩本社、玉津島神の橋本社は上賀茂神社の境内にもありました。この二社が下鴨神社の地主社的存在の両サイドに鎮座する意味とは、何でしょうね。 またご祭神がスサノオというのも今後の課題として、今日は境内の案内板をそっくり書き写すにとどめます。 重要文化財 出雲井於神社〔いずもいのへの じんじゃ〕 祭

京の夏の旅、三井神社(賀茂御祖神社境内摂社)

京都市左京区の賀茂御祖神社、通称下鴨神社の本殿西にある三井神社は延喜式神名帳の「三井神社」であるとされている。 今回「京の夏の旅」の特別参拝では、賀茂御祖神社の東西本殿を鑑賞したのち「神さまの台所」である大炊殿を見学させていただくのだが、その途次に三井神社の前を通る。 三井神社は通常棟門の外より参拝することになるが、この時は門より内側にて参拝ができる。感謝、深謝。 三井神社は一間社流造り檜皮葺の本殿3棟が東西に肩を並べて建っている。 境内はそれほど広くはないので、間に拝殿は

京の夏の旅:賀茂御祖神社(下鴨神社)を参拝、ご祭神は玉依姫命と...

七月、京都市左京区にある賀茂御祖神社、通称下鴨神社をお参りしました。 先に京都市北区にある賀茂別雷神社、通称上賀茂神社をお参りしているので、上下賀茂社の参拝成就です。 通称の下鴨神社のほうが一般的に分かりやすいと思われますので、以下本文でも下鴨神社と呼ばせていただきます。 上賀茂神社で「京の夏の旅」として、国宝の本殿・権殿の特別参拝をさせていただきました。 下鴨神社でも同様に国宝の本殿2棟と神様の台所と称される大炊殿の特別参拝が行われています。 金額は大人800円、9月3

巡拝note:上賀茂神社から東へ、藤木社と大田社

7月、賀茂別雷神社、通称上賀茂神社を参拝。 その後、上賀茂神社を出て東へ、明神川に沿って散策を始める。正面に見えるは比叡山。 この地域は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。明神川にかかる石橋をわたるところに邸宅がつづく。石垣に土塀、そのうえから木々の緑が垣間見える。一部拝見できるところもあるようだが、今回は見送る。 東に向かって進む先の正面に巨樹がみえる。ここが上賀茂神社の境外末社の藤木社。明神川の守護神として信仰されてきた。 御祭神は瀬織津姫神。 このクスノ

久我神社(京都市北区)賀茂建角身命を拝す

京都市北区紫竹下竹殿町にある久我神社。 延喜式に載る古社であり、祀られているのは賀茂県主の祖神である賀茂建角身命。 賀茂別雷神社(上賀茂神社)の南南東約1キロの位置に鎮座する久我神社は現在、上賀茂神社の境外摂社となっている。 境内の東西に鳥居が建ち、本殿は南を向いている。 本殿は一間社流造りで上賀茂神社の境内で見られた摂社末社と同じ建築様式。 本殿と拝殿は江戸時代、寛永の造替という。 拝殿は切妻造りの妻入りで左右に庇がついている。 本殿の北には森が残る。久我神社を大宮と

橋本・奈良・棚尾など賀茂別雷神社境内の摂社末社を巡る(後篇)

京都市北区、上賀茂神社の摂社末社を巡る後編。 上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社ですが、通称のほうが通りがよいと思うので、本文でも上賀茂神社と呼ばせていただきます。 上賀茂神社の二の鳥居より楼門へと向かう途中の授与所の脇に橋本神社がある。ご祭神は衣通姫命〔そとおりひめのみこと〕。 この橋本社と先の記事に書いた岩本社は、和歌の神様として古人の崇敬を集めたようです。 『徒然草』(67段)には「賀茂の岩本橋本は、業平實方なり」と記されている。業平は希代の色男である在原業平、實方