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香島天大神を巡る 鹿島神宮・坂戸神社・沼尾神社

今年の5月24日、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮を参拝。
そして、この日は鹿島神宮から「鹿島三社」を歩くことにしました。

一般に利根川下流域にある「東国三社」は比較的よく知られていると思う。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
香取神宮(千葉県香取市)
息栖神社(茨城県神栖市)

しかし今回たずねた「鹿島三社」は、鹿島神宮が入りますが「東国三社」とは別のものです。


「鹿島三社」香島の天の大神

奈良時代に編纂された『常陸国風土記』に「天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三処を合わせて、総べて香島の天の大神という」と記されている。
風土記の「香島」は「鹿島」のことで、「天の大神の社」は鹿島神宮をさしている。そして「坂戸の社」と「沼尾の社」を合わせた三社をあわせて「香島の天の大神」と称す。通称、鹿島三社。今回はこれを巡拝しようということです。

ただし、この「天の大神の社」が現在の鹿島神宮だとしても、「天の大神」が現在のご祭神である武甕槌大神をさしているのか定かではありません。それから、鹿島神宮の創建は神武天皇元年(紀元前660年)としていますが、これが「天の大神の社」の創建と同じなのか、あるいは別なのか、わかりません。

「坂戸の社」「沼尾の社」は現在、坂戸神社と沼尾神社として存在し、鹿島神宮の摂社になっています。鹿島神宮とともに二社は「鹿島神宮境内附郡家跡」として国の史跡にも指定されています。

坂戸沼尾両社は鹿島神宮からすこし離れているので、鹿島神宮の境内に二社の遥拝地が設けられています。鹿島神宮の楼門の手前、手水舎の横の鳥居で、参道からすこし入ったところにあります。

鹿島神宮 坂戸社沼尾社遙拝所

鹿島三社の地理的関係

国土地理院の地図で三社をあらわすとこのような感じです。標高に色を付けてわかりやすくしてみました。

鹿島三社の位置的関係図

右の青が太平洋、左の青は北浦。青緑が平地、緑が標高の高めな場所。鹿島の地形は標高の高い山はなくほぼ台地で、東西を海と湖に挟まれている。
赤点が鹿島三社。上から沼尾神社、坂戸神社、鹿島神宮。三社は軸が少し傾いてますがほぼ南北に、おおむね等間隔に建てられている。
三社とも緑色の台地の端に建っているのが分かります。

『常陸国風土記』から察するに鹿島三社の創建はかなり古い。当時この地図の薄い青緑の平地部分はかつて水没していた可能性もある。
そうなると、現在は太平洋鹿島灘と北浦の間に位置している三社も、かつては北浦につながる入江に面していたことになる。
鹿島神宮のすぐ北側にまで北浦が及び、坂戸神社と沼尾神社の間にも入江のような内海だったことがうかがえる。

坂戸神社への道標

坂戸神社

鹿島神宮から坂戸神社までは徒歩45分くらいか。Googleで道順を調べましたが、初めて歩く場所ということもあり時間は少しかかりました。歩くには問題がありませんが、多少のアップダウンはあります。

坂戸神社
坂戸神社

坂戸神社はそれほど大きな神社ではありません。しかし深い緑の森に囲まれています。写真ではいくらか明るい印象を与えるかもしれませんが、実際にはもう少し鬱蒼とした感がある。

坂戸神社 本殿

坂戸神社のご祭神は天児屋根命〔アメノコヤネのミコト〕。
藤原氏、中臣氏の祖神です。
ちなみに桔梗之介の家の祖神でもあります。詳しいことはまたの機会に譲りますが、我が家のご先祖さまの氏は藤原氏中臣氏と同祖です。そんなところが、中臣氏と縁の深い鹿島神宮に興味を持つ理由のひとつかもしれません。

坂戸神社の本殿は東を向いている。
天保五年(1834)造営の一間社流造。拝殿は弘化元年(1844)に建てられた切妻造。切妻造の「妻」が正面になっているのが少し変わった印象を与える。

坂戸から沼尾へ

坂戸〔さかと〕神社から沼尾〔ぬまお〕神社へは、歩いておよそ40分くらい。

ここでも、初めての土地の不慣れさと、途中で出会う景色にカメラのレンズを向けたりしていたので、トットと歩けばもう少し早いかもしれません。

上の地図でいうと、真ん中の赤点・坂戸社と上の赤点・沼尾社のあいだの入江のような薄い青緑を通り抜けるルートをGoogleさんが教えてくれました。

坂戸社と沼尾社の間の水田地帯

坂戸社の近くから北へ下る道を抜けると水田地帯がひろがります。
桔梗之介は東京の下町で生まれ育っていますので、田畑が広がる光景はちょっと気分が高揚します。田植えが済んだばかりのようです。

Googleさんの指示どおりに歩くつもりでしたので、そこが平野部の水田地帯ということは、歩いて初めて気が付きました。

周囲に高い山はなく、深い緑の台地が垣根のように周囲をかこんでいます。

このあとGoogleさんは、沼尾神社の北側から神社へ入るよう教えてくれました。そのほうが近道らしいのです。

ところが、指示通りに神社の北側へまわると、舗装されていない細い道が目の前にある。草木に覆われた密林の中へ道は続いている。

この道を抜けて沼尾神社ヘきた

どうみても神社の参道とは思えない。ハイキングコースのようですが、ちょっと不安になる。

沼尾神社

ここで、おそらく沼尾神社の参道は東についているのだろうと思いました。神社の南から西を廻って北へ歩いて、参道と思われる道が無かったのですから、残るは東です。

沼尾神社

この密林道をあきらめて、東側へ行ってみるのもひとつですが、なにかのご縁と、思い切って進んでみました。
密林を歩くこと数分。沼尾神社の境内に達しました。案の定、参道は神社の東側にありました。

ときどきGoogleさんには、こんなふうにやられてしまいます。

沼尾神社のご祭神は、経津主神〔フツヌシのカミ〕。鹿島神宮とご縁の深い香取神宮の御祭神でもあります。
かつてはここから香取の森が望めたとか。

坂戸神社よりも境内は広いように見受けます。境内というか森です。実際にはどこまでが境内の森なのか不詳です。坂戸神社よりもいくらか明るい感じがするのは植生の違いでしょうか。

鹿島神宮は北を向いていますが、坂戸、沼尾の両社は東を向いています。太平洋のほうを向いています。
坂戸沼尾の両社とも、切妻造りの妻入拝殿、一間社流造の本殿。

沼尾神社の後方にはかつて沼があったという。それは小さな沼なのだろうか。
神社の後方とは神社の西の方角で、それはさきほど歩いてきた水田地帯を指すのではないか。あの緑の台地に囲まれた田んぼが、かつては沼だった可能性はあるのではないか。

古社をめぐる散策は妄想をふくらませてくれます。

鹿島三社を巡り終えて、帰路

さて、これにて鹿島三社を巡り歩く旅も終わりです。鹿島神宮はさすがに多くの参拝客の姿がありますが、坂戸神社と沼尾神社は地域の小さな鎮守の神さまといった趣もあり参拝時には誰にも会いませんでした。
ちなみに社務所、授与所、トイレなどはありません。

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