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石の枕の姥ヶ池

むかし、浅茅ヶ原あさぢがはらの一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊るした大石の下敷になって死ぬ。それを悲しんで悪業を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人はこれを姥ヶ池うばがいけと呼んだ。

東京都の旧跡に指定されている姥ヶ池。かつては隅田川に通じる大池でしたが、明治24年に埋め立てられた。先の伝承は石碑の近くにある東京都教育委員会の案内版によるもの。

浅草寺の西、二天門から隅田川方向へ進んだ道の北側の公園の一角に姥ヶ池旧跡の碑が建ち、その碑の後方に小さな人工池がある。姥ヶ池と呼ぶには小さく浅く寂しい感じがする。

姥ヶ池旧跡の碑

人工池の畔に二つの石の祠が建っている。石の祠の間には、福寿稲荷大明神と刻まれた石碑がある。
池に身を投じた老婆か、身代わりとなった娘を偲んで建てられたものだろうか。

正確には忘れたが、いまから10数年くらい前の姥ヶ池旧跡の石碑はこの福寿稲荷大明神のような形をしていた。
ある年、この石碑が破損したので、今のような石碑に変わった。むかしの方が好ましい姿をしている。

かつての姥ヶ池旧跡の碑
公園の池

 石の枕に鮓やありける今の茶屋  其角

以前の写真を見ると二つの石祠には紅白の幟がたっている。右の赤い幟にはそれによると「姥ヶ池福寿稲荷大明神」とあり、左の白い幟には「姥宮沙竭羅龍王」とある。真ん中の石碑が稲荷かと思っていたが、そうなると右の石祠はどちらさまだろうか。
それとも右の稲荷の名前を刻んだものが中央に置かれているだけなのだろうか。

かつての石祠前

いづれにしても石祠のいづれかは、沙竭羅龍王が祀られていると思って差し支えあるまい。龍神である。この沙竭羅龍王といえば浅草寺の手水舎に高村光雲作の像が立っている。

浅草寺の沙竭羅龍王像

実は龍神好きなんです。東洋の龍はカッコよいですよね。西洋のドラゴンはちょっと違う印象ですけど。キングギドラも好きです。


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