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VTuber の引退が何故ショックなのか、3年経ってようやく分かった

 VTuberの引退で直撃を食らったのはやはり桐生ココが最初だろうか。
 ゆるやかながらもホロライブを追っていた身にとっては実に衝撃的な出来事だった。
 その当時、何の気なしに「なんか面白いことやってないかな~」とYouTubeを覗いてみたら「桐生ココからみなさんへ大切なお知らせ」という配信がちょうど始まるところだった。
 白バックに厳粛なテロップ、かしこまった態度。
 これはアレだ、大手企業の製品回収のお詫びCMと雰囲気がソックリだ。
 良くない気配がプンプンしていた。
 内容を見たらその予感は当たっていて、その日は一日なんだか落ち込んでしまったのを覚えている。
 この時の感触として自分でも意外だったのは、自分が「思った以上にショックを受けている」ということだった。
 私は桐生ココの熱心なファンでは無かった。
 今までのホロライブには無い革新的な芸風で面白いことをやる人という認識はあった。切り抜き動画などを見ては「この人ほんと面白いなぁ」とたびたび唸らされた。
 ただ、多士済々のホロライブにおいて、あくまでも私にとっては優先順位が一番のタレントでは無かった。どちらかが生配信をやっている場合、桐生ココじゃない方を見に行くことの方が多かった気がする。
 そんな、もっとこの事態を冷静に受け止めてもいい立場である筈なのに、何故こんなにもショックなのか。それが分からなかった。
 よくよく考えてみると、VTuberという存在が引退する、それを真正面から体験するということはこれが初めてなのであった。
 アイドルがグループを卒業したり、芸能界を引退するというのは何度か見てきた。
 「見てきた」と言ってもその度合いは薄く、自分には「ウォォォォォォ~~!」と入れ挙げるようなアイドルもいなかったため、正確にはニュースとかで「知った」程度が正しいかもしれない。
「へぇ~あの子辞めちゃうんだ」
 その時はその時で軽いショックは受けるが、後を引くことは無くその日の夕飯時には「今日のカキフライとりわけうまいやん……!」みたいな雑念に搔き消されてすっかり忘却していた。
 ホロライブのタレント達は一応アイドルを標榜しているので、立場的にはアイドルに近い。
 アイドルとVTuberの引退に一体何の違いがあるんだろう。
 当時はそれが分からず、ずっとモヤモヤしていた。

 桐生ココの卒業からもうすぐ3年が経とうとしている。
 ネットの世界における3年は早い。
 ホロライブでは桐生ココ以降1人が卒業し、2人が契約解除になった。果たしてこの数は多いのか少ないのか。「健闘している、よく持ち応えている」という気もする。それにしても円満退社って難しいね……。
 とにもかくにもVTuberの引退に接する機会はたまに発生し、その度に新鮮な痛みを感じた。
 3年も経てば、さすがにその理由も見えてきた。
 これから書くことは、桐生ココの卒業どころかそれ以前にもおそらく誰かしらはとっくのとうに気付いていることだと思うので、その点はご容赦願いたい。ただ、その結論に自力で辿り着いた身としては書かせてほしい。

 VTuberの引退は何故ショックなのか。
 それはやはり、VTuber自体の特性にあるのではないか。
 自分にとってアイドル(人間)の引退があまりショックで無いのは、辞めた後もそのアイドルの人生は続くからである。
 もし自分にアイドルの強烈な推しがいたとして、その人が引退したらその時は大変なショックを受けて激しく落ち込むと思うが、最終的には「でもまぁ、この世界のどこかで幸せに暮らしているのであればそれでいいか……」と何度も自らに言い聞かせてどうにか気持を収めるであろう。
 当然ながらVTuberはアバターと“中の人”で構成されている。この二つの要素のどちらが欠けても成立しない、まさしく一心同体である。
 桐生ココは引退した。
 桐生ココの“中の人”は面白いことをできる人なので、それ以降もネットの世界で活躍している。新天地でもVTuberを始めて絶大な人気を博していると聞く。きっとそこでも、そのVTuberにしかできない新たな物語を紡いでいることだろう。
 どこかから聞こえてくる“中の人”の活躍のニュースは嬉しい。
 でもやっぱりそれは、桐生ココの引退とは別の話なのだ。
 私はここで毎回「でも桐生ココはもういない」という事実にぶち当たる。
 桐生ココはどちらの要素が欠けても成立しない。
 “中の人”の活動はこれからも続いていく。それは充分喜ばしいことだが、「桐生ココ」の活動は永遠に止まったままなのだ。
 私はたまに想像する。
 それは宇宙っぽい、寒くて光の無い異空間だ。
 そこで桐生ココのアバターがあても無く空中でふわふわ漂っている。
 一体どんな感情で浮いているんだろう。
 声は奪われてどこにも届かない。
 思考も無いから意志があるのかさえ分からない。
 あのアバターは今、どこにしまわれているんだろう?

 「VTuberの引退 = その存在の死」という言説はちらほら聞く。今回はそれを自分なりに言語化したということになるだろう。
 「そんな大袈裟な」と眉をひそめる人もいるかもしれないが、「存在の死」というのは理屈としては合っている筈だ。
 「ただ、それでも」とも思う。
 “中の人”が生きている限り、復活のチャンスがあるということも決して忘れてはならない。桐生ココは完全に死んでしまったわけではない。
 私はたまにこれを言うんだけど、この世には人間に使える唯一の魔法がある。それは「時間の経過」である。
 たとえどれだけ時間がかかったとしても、何らかの奇跡的な事態が連発し、いろんな阻害要因や政治的なしがらみが一切取り払われたとしたら、桐生ココ復活の確率は少なくとも0%ではない。
 本稿の結論としては、意外なことに「長生きするとなんか面白いことあるかもよ?」というところに着地する。
 健康寿命、伸ばしていこう。そして面白いものを見よう。
 健康第一! やっぱり健康が大事なんだよなぁ~、結局。
 とりあえず野菜摂取が王道っしょ、ということで今日私はほうれん草のおひたしを200グラム食います。
 そして心を落ち着かせるために、お惣菜にはカキフライも所望する。

◆ ◆ ◆

 桐生ココはいま、一時停止している。
 次に再生ボタンをクリックするのは誰なのだろうか。


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