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官職名の付け方

武士が本名である諱(いみな)とは別に通称を名乗っていたことは、御存知かと思います。

新兵衛とか正二郎などですね。

これが偉くなると官職名になります。

では、官職名はどうのようにして決めていたのでしょうか?

今回は、官職名の付け方について話していきたいと思います。

幕末の幕臣で、川路聖謨(かわじ・としあきら)という人物がいます。

彼の官職名は、左衛門尉(さえもんのじょう)でした。

なぜ左衛門尉にしたかというと、元々の通称が三左衛門(さんざえもん)だったので、三を削って左衛門を活かし、彼が尊敬してやまなかった遠山景晋(とおやま・かげみち)の官職名と同じにしたそうです。

遠山景晋も左衛門尉なんですね。

ちなみに、遠山景晋は「遠山の金さん」のお父さんです。

では、遠山景晋はどのように決めたのでしょう。

まず、景晋の通称は金四郎(きんしろう)でした。

ところが蝦夷地に出張する際、幕府から律令制の官職名に改めるよう命じられました。

そこで、遠山家の初代である遠山景吉(とおやま・かげよし)の通称、権左衛門(ごんざえもん)の「権」を削って「左衛門」にしたそうです。

そして、正式に叙位された時に「左衛門尉」となったのでした。

息子の「金さん」は、父親の通称を受け継いでます。

最初は金四郎でした。

なので、金さんと呼ばれているわけです。

その後、父と同じく左衛門尉を名乗っています。

戦国大名の系譜を引く家柄なら、官職名も先祖以来の由緒があり、それに従っていました。

しかし、遠山家や川路家のように、これまで、そのような事例が無かった家は、けっこう適当に考え出していたようです。

ちなみに、旗本では、官位を授与される方が遥かに少なく、勤続年数数十年の代官が、老年になって叙位されると感激していたそうです。

なので、旗本が〇〇守を与えられることは、旗本個人の大きな喜びであり、家の面目でもありました。

江戸城中での様々な儀式、上野寛永寺や芝増上寺の法事などでは、席順や並ぶ順番が前になるので、その格式は高くなり、優越感に浸る者もいたことでしょう。

さて、意外と適当に付けられていた武士の通称(官職名)ですが、時代が下っていくと、一般民衆にも浸透していきました。

武士以外の身分の人たちも、名乗り始めたのです。

職人たち、とくに大工、鋳物師(いもじ)など、または、芸能関係の者が、ナントカの守、ナントカの掾(じょう)などと名乗り出しました。

こちらは朝廷から任命されていないので、非公認ですが・・・。

また、神職には、ナントカの守だけでなく、国名だけの呼び名を名乗る者もいました。



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