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『35歳の少女』を今、放送する意味。

第一話を観て
『なんで今やるんだろうなぁ』と
思っていた。
脚本は有名な方で特徴があるというか
ヒトクセあるお話が多い。
だから今回もテーマはなんだろうとか思ったし
期待も込めて第一話を観た。
で、その感想は上記の通り。
これから回を重ねる事にそれが分かるのだろうか。


はっきり言って今は未曾有の時代。
ドラマでまで厳しい現実や
辛い状況を観たくない。
それこそ何も考えず楽しめるような
明るい話題がいいと
個人的には思ってしまう。

なのに
めちゃくちゃ重たいスタートだ。
目覚めなかった方が良かったのかもしれないし
時を取り戻すにはあまりに時間が経ち過ぎている。
親になった経験がないので
10才の子どもがあんなに幼いのかは分からないが
小学4年生だと思うと
もう少ししっかりしていた気がする。



いや、第一話の感想ではなくて
第二話を観てなんか刺さったモノがあって。
『あーだから今、放送してるのかな』と
自分の中で感じた。


それは目覚めた望美が事故にあった時
買いに行った豆腐を買ってきて
集めた家族に話しかけるシーン。

父親には
『望美が事故に遭ったのは、パパが自転車のブレーキを直さなかったからじゃないよ』
妹には
『妹の代わりに望美が買いに行ったから事故に遭ったんじゃないよ』
母親には
『ママが豆腐を買い忘れたから望美が事故に遭ったんじゃないよ』

『望美はあの日、本当は通る必要はなかったのに、坂道でスピードを出したくてわざと寄り道をしたの。』
『悪いのは望美です。それなのに事故に遭ってごめんなさい。みんなに25年も辛い思いをさせてごめんなさい。自分ばっかり不幸だと思ってごめんなさい。

そして家族は望美が買ってきた豆腐を食べた。


望美が事故に遭い、苦しみ続けた家族。
それぞれが自分のせいだと責任を感じて
その結果、家族の中は
ギクシャクしてしまったのかもしれない。
望美の言葉で、長年喉に刺さっていた
魚の骨が取れたかのような
そんな気分になった。

そして、あぁ今放送するのはこの為なのかな
なんて勝手に答えを一つ見つけた気がした。




まぁ、事故の場合は原因があるだろう。
今、現実に起きている事にも原因はあるが
誰も悪くない。
誰のせいでもない。
自分ばかりなぜだと不公平だと思ったり
境遇を嘆きたくもなる。

でも、自分だけではなかったりもする。
苦しんでいるのも
悲しんでいるのも
生きていくのが辛いのも
明日立ち上がる力があるのか不安な人も。

だから何?と言われたら困るのだが
確かに苦しんでるのは君だけじゃないよ
と言われても
他にも苦しんでいる人がいるからなんなのって思うだろう。

一人じゃないなんて言われても救いにはならない。
でも、人って何故か
『自分だけじゃないんだ』
と思う事で
少しだけパワーが出たりする気がしている。
少なくとも私はそういうタイプで
気付かされるたびに
『あ、そっか』と思ってしまう。
いい加減、慣れればいいのにと思うのだが
いつの間にやら“私だけ”病が現れるようだ。

まだまだドラマは序盤。
これからもどんな展開なのかなと思う。
第一話では正直、脱落しそうだったのだが
とりあえず観た第二話で
第三話を観てみようと思った。


そんな感じでこのドラマは楽しんでいこうと思う。





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