返せないほどの恩。

今日は平和だった。
体調も少し頭痛がするくらいで
苦になるほどではなかったし
夜は最近家族で見ていた中国ドラマを一気見した。

平和だなぁ。ありがたいなぁと思う。

それと同時にやはり私は親不孝だと思ってしまう。
嫁にいかず(いけず?)未だに両親の世話になっている。
たまに私が「育児放棄だ」というと
「もう育児は卒業した」と返ってくる。
全くもってその通りだ。
本来ならとっくに育児は卒業し、子供たちはそれぞれの人生を歩んでいる筈だ。
現に兄2人は家族を持ち、父親になり頑張っている。
20年前10年前の自分でも
20年後10年後、自分も当たり前のように“一般的”
そんな生活を送っていると思っていた。

しかし蓋を開けてみると私は“一般的”からはかけ離れた生活を送っている。
その為に未だに両親に負担をかけている事ももちろん認識している。
私は返しきれないほどの恩に包まれて今生きているのだ。
恩と表現したが愛情とも言えるのだろう。
だがどちらもピッタリとはまる言葉ではなく
私が感じているものを表現しきれる言葉は見つからない。
だから今回は恩と表現する。
この恩がなければ私は今生活出来ていないだろうし
生きていく事さえ出来ていないだろう。
私の甘えを甘えだと切り捨てる事なく
仕方なくでも受け入れてくれている結果
私は生きている。そして幸せだなぁと感じる事が出来るのだ。

これだけの恩をこれからの人生でどうやって返したらいいのか分からない。
返せるとも思えない。
私には返せるものがあまりにもなさすぎて申し訳なくなる。
花嫁姿は見せられそうにない。
孫の顔はもっと見せられそうにない。
世間一般で言われる親孝行の中で私に出来ることはあるのか。

一つだけこれだけはと思っている事はある。
それは両親より1日でもいいから長生きをする事だ。
どんな姿になろうと、必ず私が両親を看取りたい。
兄妹の中でも一番近くで看取ろう。
それだけは決めている。
だからそれまでは生きなければいけない。

散々親不孝をしてきたから
子どもの死を看取らせるという事だけは避けたい。
これが今の私でも出来る恩返しではないかと勝手に思っている。
私の生きる目的は両親を看取る為だ。
両親を看取る事が出来れば、次の日に死んでもいい。

だからその日までは
3人で過ごす時間は大切にしたい。
一緒に何かをしたい。
家に3人いる時は同じドラマを見たりテレビを観たりしながら会話をする。
こんな事がたまらなく幸せなのだ。

与えられてばかりの日々。
今世ではとても返しきれそうにない。
だから覚えておいて欲しい。
来世や来来世になっても必ず恩返しに行くから。
どんな関係性だろうと人間ではなくとも
2人には必ずお返しに行きます。
それは指切りをしましょう。
果たす自信はあるから。

仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪