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メガネ

(知的ではない)好奇心の塊で、家の中の至るものをそのクチバシでつかんで持ち去り、破壊しようとするキクノスケですが、これまで最もその好奇心の被害にあってきたものが僕のメガネです。

キクノスケはペットショップで初めて会ったときから僕なんかよりもずっと僕のメガネに興味しんしんでした。

我が家にやってきてからも肩に乗ってきて、ようやく僕に心を開いてくれたのかと思ったら、僕のメガネにちょっかい出してばっかりでした。

外したメガネを貸してあげれば、落っことすまで遊んでます。

落っことしたら興味はなくなるみたいです。

そして成長したキクノスケは、僕がメガネを貸してあげるまで待てなくなったのでしょう、僕がかけているメガネを自分で外せるようになりました。

肩の上からメガネの耳のすぐ近くをくわえて、なんとも無駄のない、くちばしの必要最小限の動きで、僕の顔からつるんとメガネを外して持っていってしまいます。

人とコミュニケーションをとる能力ではキクノスケより高度なヨウムさんが世界にはたくさんいると思いますが、メガネを外すことではキクノスケが全鳥類で圧倒的No.1なんじゃないかとさえ僕は思います。

その結果メガネが壊されてしまうこともしょっちゅうで、冒頭のサムネ画像は見事にメガネのレンズを片方外された記念(?)にとった写真です。

僕はメガネのレンズは軽く、丈夫で、ゆがみのないNikonの両面非球面レンズと決めているので、まあまあ値段もお高くて壊されるとけっこう普通に悲しい気持ちになるのですが、これもメガネが好きなインコと生きていく宿命と言い聞かせてあきらめています。

僕は当初キクノスケがメガネをすきな理由について、メガネの重さ、硬さ、太さ、噛み心地、機構などがキクノスケの体格や力の強さにちょうどいいんだくらいに思っていました。

しかしある出来事をきっかけにキクノスケにとってのメガネは、ただのものを超えた存在であったことを知りました。

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キクノスケがうちに来てからだいたい半年くらいのとき、その日僕は家のMacBookProで別に仲良くない友だちのさらに友だちの結婚式で流すためのムービーを作らされるという、前世でどんな業を積んだらこんな苦行をすることになるのかってくらいの辛い作業に朝から取り組んでいました。

新婦は「私が一番キレイに見える撮り方」みたいなのを十分すぎるほど自覚されている方で、事前にもらった20GBくらいの写真データでどの写真も同じ笑顔、同じメイク、同じ角度でした。

指定されたいきものがかりの曲に合わせて写真をタイムラインに並べてムービーにしたら、世界中の観光地に新婦の同じ顔がはめ込まれている、あまり体験したことのない種の不安感を覚えるムービーに仕上がりました。

夕方くらいにようやくその作業が一段落して、目と精神がだいぶ疲れてきたので、目の周りをマッサージしようとちょっとメガネを外したときです。

その様子をケージの外にいたキクノスケも見ていたのか、僕がメガネをテーブルの上に置くと、キクノスケもそのメガネのところに飛んできました。

僕はこめかみや目の周りを親指でぐりぐりしながら、キクノスケがまたエキサイトしてメガネを破壊するといけないので、目の前にあるのがiPhoneなのか焼海苔なのかもわからないくらいのぼやぼやの視力で、キクノスケを観察していました。

キクノスケは最初はコツコツとメガネのレンズをくちばしで叩いていたのですが、しばらくするとメガネに対して、ゴニョゴニョした調子の声で話しかけ始めました。

1分たち、2分たち、3分たっても僕が見てる前でキクノスケはときおりレンズをコツコツしながらずっとゴニョゴニョメガネに話しています。

そういえばキクノスケがものに向かっておしゃべりするのを見るのはそのときが初めてで、それはなんだか不思議な光景で、ふと見ていた僕の中に「まさか」とある疑念が湧き上がりました。

そしてその日の夜、その疑念を検証するために、今度はキクノスケが肩の上で僕に向かっておしゃべりをしているときに、僕がメガネを外したらどうなるか試してみました。

するとキクノスケはメガネを追って肩の上からテーブルに降り、外したテーブルの上のメガネに対しておしゃべりを続けました。

はい、疑念は確信に変わりました。

キクノスケは我が家に来てからずっと、(僕じゃなくて)メガネに話しかけていたのです。

僕がキクノスケとコミュニケーションをとっているとき、キクノスケは僕のメガネとコミュニケーションをとっていたのです。

メガネに話しかけるキクノスケを指でちょんと触ったら、ものすごくビックリされました。なんでお前が今動くの?みたいに。。

キクノスケ、もしかして君は、メガネが俺の本体だと思ってた?

僕はメガネに強く嫉妬しました。

家中のメガネを折りたくなりましたが、メガネに罪はないですし、なんにも見えなくなるし、ニコンのレンズ高いし、なによりメガネのない僕がキクノスケにとってのなんなのか考えると怖く悲しくなるしでやめました。

僕(人間)とキクノスケ(鳥)では身の回りにあるモノに見出す役割や価値が全然違うくらいのことはまあ当たり前のこととしてわかっていたつもりだったのですが、

僕自身がキクノスケに動くメガネ置きとして認識されているくらいのギャップがあったとは全く予想だにしておらず、

キクノスケにとってこの世界がどう認識されているのか、僕はもっともっと深く観察し考えなければいけないと思ったのでした。

それから1年くらいをかけて、しゃべりかけても一向に返事がないメガネに飽きてしまったのか、あるいはメガネがただのものであることに気づいたのか、あるときからキクノスケはメガネに話しかけることがなくなりました。

それと時を同じくして僕の肩の上でおしゃべりをすることもめっきりなくなりました。

肩の上でおしゃべりをしてくれなくなったのはキクノスケと距離感ができたみたいで少しさびしいですが、しかしそれもメガネに対してのおしゃべりだったと思うと、キクノスケが僕のことを(生きてる人間として)正しく認識し、僕とのコミュニケーションを構築し直すための一歩なのかもしれません。

いつか肩の上から今度は本当に僕に対して話しかけてね。

あの日僕がメガネを外したことで僕とキクノスケとのコミュニケーションのピントが合ったというのは、なかなかシニカルな話だなと思いながらたまにこのことを思い出します。

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