2023年8月に自分の夢を叶える為のスタートラインにようやく立てるので、それまでに、自分に影響を与えてきたことについて振り返り、自分の教育観をもう一度棚卸したいと思います。
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2024年5月の記事一覧
「山崩し」してる時に(https://note.com/kikun_waldkita/n/n4d32c866ec76)、近くに勝ち負けにこだわるL君(https://note.com/kikun_waldkita/n/ndbed14f3bdc8)がいた。最近のL君の様子を見る限りでは、朝の会の時に積極的に手を上げてるし、他の子どもとも仲良く遊べているので、「山崩し、一緒にやる?」と誘ったら、『負けて笑われるのが嫌だからやらん』と断られた。ただ、コッチは4人でめっちゃ盛り上がって遊んでいたので、『見るだけにする』って言って遊びを見ていた。一緒に遊んでいた子どもの中に年長の子がいたので、年中のL君は”負ける可能性が高い”と判断して、尻込みしてしまったのかなと思う…
それにしても、5歳児でこのプライドの高さは自分にとって未知の世界である。L君は一人っ子なので、何でも出来るみたいな環境に浸かっているからこそ、失敗した時の自分が、自分で受け入れられないのかなと思った…
以前紹介したドイツ映画(https://note.com/kikun_waldkita/n/n3a7fa5a55149)は生徒が主役だったけど、この映画は先生が主役らしい👉「ありふれた教室」(https://arifureta-kyositsu.com/)
映画レビュー「ありふれた教室」(https://note.com/yamatetsu1966/n/n72917a74ce12)
【幼稚園雑草(上)p33~p34(https://note.com/kikun_waldkita/n/n1230a7f06c2e)】<一人の尊厳>人間は一人として迎えられ、一人として遇せられるべき、当然の尊厳をもっている。ただに人間ばかりでなく、宇宙の一物といえども、もの皆個体の存在をもっているのであるが、人間において、特にその尊厳をもつ。これは、必ずしも、心理学的にいわゆる個性の別という意味ではない。個性は相対的のものであって、一人の価値はその個性の価値であるが、人間の一人は絶対のものである。各個人の人間が銘々に有する、神聖なる尊厳である。すなはち、全ての人間は、その個性を尊重せられる権利をもつと共に、先ずその前に、一人として迎えられるべき尊厳をもっている。この意味において、一人を一人として迎えないことは、人間の尊厳をおかすことである。一人の一人たることを忘れるのは、人間に対する最根本的の無礼である。今我等は、新しき子供を迎えた。一団の新入園児を迎えたのでもなく、一組の新入学生を迎えたのでもない。我等の迎えたものは、その一人ひとりである。一人ひとりが、人間としての一人の尊厳をもって、我等の前にあるのである。一人ひとりたることを忘れるのは、人間に対する、全ての誤りの出発点である。一人ひとりたることを無視するのは、人間に対するあらゆる罪の基である。幼きが故に、一人の尊厳に、一毫のかわりもない。
保育士として支えられた言葉たち『一人ひとり』(https://note.com/kikki86/n/n09daf9fd4d51)
トビタテ大図鑑にテファリキを学びに留学してる方の体験記があった(https://tobitate-mext.jasso.go.jp/zukan/detail-3070)。大図鑑に載ってないけど、もう1人ニュージーランドへテファリキを学びに留学した人を知ってる。
じいじ 保育士を目指す! 研究会(https://note.com/joyous_stilt644/n/nc8b2a631ea06)
実習が雨の日は、個人的には、ジーンケリーの「Singing in the rain」(https://www.youtube.com/watch?v=swloMVFALXw)みたいな感じで楽しい気分になる。「悪い天気などない。悪いのは服の着方だ」の言葉に従って、雨用の服は装備してる(https://note.com/kikun_waldkita/n/n2bbea1fc85a1)ので安心である。登園する子ども達の中には、カッパを着るのを渋る子がいたり、雨で気分が沈んでる子がいたりして、晴れの日みたいにスムーズに親と離れられない子がちらほらいる。もし自分が森の幼稚園の園長だったら、雨が降る日は「Singing in the rain」を流したいなと思ってしまう。