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ぼっちと単位

一般的な大学生にとって、講義とはただ単位を取るだけの場である。しかし、ぼっちにとってそこは一人の苦痛に耐えることを鍛える場、いわば戦場であった。

周囲の視線から逃げていた一年生の私

身の隠し方を会得した二年生の私

堂々とぼっち受講できるようになった三年生の私

むしろ誰かと出席する方が恥ずかしいとすら思い始めた四年生の私

講義とは、私を育ててくれた場所であり、ぼっちというレッテルをアイデンティティへと昇華してくれた場所である。

四年間友達なしを貫いてきた私からすれば、講義室での立ち振る舞いを一目見るだけで、その人のぼっちとしての実力を測ることができる。ぼっちでいる自分から目を背けたいがため、講義に出ないなんていうのは言語道断、友達に頼れないために単位取得を甘んじてしまうのはぼっちとしてプロになりきれていない証拠だ。

とはいえ、私も最初は「一人で講義を受ける」ということが恥ずかしく、講義中はいつも周囲を気にしてばかりいた。それを乗り越えたエピソードを一つ、話したいと思う。

お前の席は誰かが決めるのじゃない。自分のポジションは自分で決めろ

入学したばかりの私が、講義室に入ってすぐにしていたことは顔見知りを探すことだった。新入生歓迎会で喋ったやつ、最初の学部コンパで一緒のテーブルだったやつ、見知った顔を見つけてはそいつの隣に座り、講義を受けた。

これで、「大学生をやれているつもり」だった。

今思えば、講義は友達と受けるもの、なんて観念に踊らされていただけのような気がする。

だから教室に着くなり顔見知りを探して、その隣に座るという行為を当然のように続けていた。

あの日が来るまでは。

私はたまたま授業開始15分前の人影疎らな時間に入室していた。

いつもは講義開始ギリギリに来ては、空いてる知人の隣を探しては座っていたのだが、まだ知れた顔は座っておらず、仕方なく一人で席に腰を下ろした。

授業開始が近づくにつれて、人が徐々に集まり始める。

それはキャパ120、130人程度の教室に対し、受講者数は100人と割とキツキツな講義だった。

きっと私の隣にも誰か座ってくれるだろう、そんな甘い考えを持っていた私は悠々とスマホでネットサーフィンをしていた。

講義開始のチャイム。隣を見る。

私の隣に座って講義を受けようとする者は誰もいなかったのだ。

まるで落雷に脳天を刺されるかのように、ニュートンがりんごが落ちた瞬間を目撃したかのように、その時、私は自分自身がキョロ充ぼっちであったこと気づいた。

いつも一緒に座っていた知人は、こちらが勝手に友人と認識していただけで、向こうからしたらわざわざ一緒にいたい間柄ではなかったのだ。

その90分間は恥ずかしさに耐えることで精一杯だった。

大学のましてや同じ学科の連中がいる教室で、「たった一人で講義を受ける自分」を晒した。

講義を終わった後、確かな敗北感を抱きながら

"これからは一人でいよう"

そう決意したのを覚えている。

私にとって薔薇色は重くて、無地の背景こそが似合っているのだと悟った。そう、吹っ切れてしまえば、地獄だと思って敬遠してた景色も天国に変わるかもしれない。

そんなこんなで、私はめでたくぼっちになった。

ぼっちの講義室ポジショニング概論

ここからは大学生活4年間で学んだ講義でのポジショニングを解説する。

後列・・・△

意識低いウェイ系が群れをなしている。ぼっちには肩身が狭くなりがち

出入り口付近端列・・・◎

グループワーク始まった途端ふらっと講義から消えることも可能。コミュ障系ぼっちにはおすすめ

窓際付近端列・・・○

教室からは出にくいためコミュ障系ぼっちには向かない。講義に出ても出席点稼いで寝るだけといった無気力系ぼっちなら目立たない場所のためおすすめ。

前列・・・○

一人で熱心に講義に耳を傾ける真面目系しかいないため、ぼっちでも浮かない。ただ寝ると教授に睨まれるため、無気力系なら避けるのが吉。

中央列・・・○

一人でいる自分が恥ずかしいという気持ちが抜けない、密集地帯に紛れ込ませたい初心者ぼっちにはおすすめ。ただ人気なエリアであるので、早めに席を取っておきたい。

そもそも出席しない・・・△

人脈がないぼっちにとって、講義に出ないのは悪手。君にはテスト前に出題範囲を教えてくれる友達も、ノートを写させてくれる友達も、先輩から受け継いだ過去問を回してくれる友達もいないことを重々に承知しよう。

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