ぼっちと友達
たった一人だけできた大学の友達について話したいと思う。
私は小・中・高と当たり前のように友達ができていたのに、大学生になった途端無意識的な人付き合いができなくなった。周りの大学生が、輪を形成したいがために周囲にノリを合わせようと必死になっているように見えたのが気持ち悪くて、集団に擦り合わせることを早々に諦めた。
そんな私でも、意図せず仲良くなってしまった友達がいた。
出る杭、抜けた杭
集団に溶けこめない人間は2種類いる。
集団から遠ざけられる人間と、集団を遠ざけてしまう人間だ。彼は悪目立ちする問題児で、何にも干渉しない私は空気だった。
そんな彼は突拍子もなく私に話しかけてきた。
「なあ、俺と結託せん?」
教室の端っこで一人で授業を受ける私に彼はこう言った。
学科、サークルは同じであったため、自然と接点は多かったものの、いつもアクティブに動き回る彼は私と対極の存在に思っていたので、話しかけてきたことに驚いた。
そんな彼からとある提案が持ちかけられた。
交代交代で講義に出ることで、一年における授業の出席率をお互いで半分にしようというものだった。
大学の講義というものは出席率が直接点数に響くこともあれば、徐にテスト範囲を発表されたり、毎回配られるレジュメを受けとらないとテスト対策において不利になることもあり、基本的に全出席が望ましい。だけど結託すれば、片方が出席しなくても二人分の出席票を出せたり、レジュメを確保ができたり、テスト範囲を共有できたりと、半分の出席で全出席と同等の恩恵が受けれる。
私が大学に来ない日は彼が大学にいて、私が大学に来る日は彼はいない。ぼっちなのは変わらなかったが、友情なんて抽象的なもので繋がるでもなく、単純明快な利益を共有するために生まれた関係は、返って安心できた。
大学の出席点欲しさに私みたいな一端のぼっちと結託するという発想ができるように、彼はズルい人間だった。
彼はビットコインの儲けで、優秀なゴーストライターを雇って就活のESを書いてもらったり、ウェブテストを知り合いの東大生に受けさせたり、卒論も他者に任せっきりで内容さえ知らずにA評価を獲得した。他人のアイデアを自分のものとして発表し、ビジネスコンテストに入賞したこともあった。
側から見れば優秀な人物である一方、自分一人では何もできないくせに他者を唆して旨味を得ているような彼を嫌う人も多く、それが彼の集団に馴染めない理由でもあった。
普通人は何かを達成したい時、どのように努力すべきかを考える。
しかし、彼は”いかに努力しないか”を考える天才だった。彼は、自ら動かず、使える人を見極め、適切に動かすことで目標を達成する。
人に迷惑をかけないことが善だと教えられてきた私にとって、手段を選ばず自分のやりたいことを全うする彼はとても刺激的だった。
そんな、地道な努力、謙遜、自己責任といった日本人の美徳を持ち合わせていなかった彼と四年間過ごしていくうちに、なぜ彼は人に嫌われてまで目標の達成に拘るのかを知れた。
彼は小学校の頃、中学受験を控えていた。しかし、彼は思うように成績が伸びず志望していた県内一位の優秀校から、県内二位の中学に目標を下げた。
そのことを聞きつけた同じ塾の友達から彼は馬鹿にされたらしい。その時初めて、彼は人を殴り、倒れる相手を徹底的に打ちのめした。だけど、彼の中では「そいつに負けた」という事実は変わらなかった。
その日から彼は、負けることが死ぬほど嫌いになったのだと思う。
彼は小学生から、競争社会に揉まれてきたのだ。
口達者で、人を動かす能力に長け、根底に誰にも負けたくないというプライドを持ち合わせていた彼は、大学を卒業して大手コンサルティングファームの戦略コンサルタントへと成り上がったと思ったら一年足らずで退職し、会社を立ち上げた。
彼から社長になるという話を聞いたときは、何も不思議には思わなかったしむしろ、思ったより遅かったなと思ったくらいだった。
はじめて聞いた弱音
大学生活終わりかけの四年生の夏休み、彼から夜中の河原に呼び出されたことがあった。
彼はコンビニで花火を買ってきていた。遠くの方でどこかのサークルがバーベキューで盛り上がっているのを傍目に、男二人で手持ち花火に興じては川原に飛び込み、負けた方が女の子に LINE通話をかけるといったくだらない罰ゲーム付きの陣地取りをした。
「数人の男女でレンタカー借りて海行ったりとかさ。俺、ほんとは普通に大学生したかってんけどなー」
大手コンサルに内定し、権力や財力や周囲の羨望を手に入れた彼は、青春だけを取り逃がしたかのように語ったが、私にとってはそんな彼と過ごした四年間こそが青春であったことを伝えなかった。
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